紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-04-12から1日間の記事一覧

牧野一里塚跡

案内板 「 牧野一里塚跡慶長十九年(1614)洗馬宿 の開宿に併せ築かれたこの塚は、江戸より六十里の一里塚である。明治以降の開発により当寺の面影は留めていないが、中山道名称統一三百年の年に碑を建て、ほぼこの辺りとして、後世に引き継ぐものである。 …

言成地蔵尊と下馬落としの伝説

案内板 「 言成地蔵尊と下馬落としの伝説この言成地蔵尊は、『願い事をすれば必ず叶えてもらえる』地蔵様として洗馬宿時代から周辺の信仰を集めている。初め洗馬宿の出入り口の急坂にあって人々の安全を願っていたが、余りにも落馬する人が多く、ある時一人…

洗馬宿 高札場跡

案内板 「 高札場跡ここは洗馬宿の高札場があったところで、後に御判形(おはんぎょう)とよばれた。伝馬駄賃御定や幕府のお触れなどが掲げられていた。明治以降裁判所の出張所(後に宗賀村役場)敷地の一部になり、その建物は『どんぐりハウス』として、移築利…

洗馬宿 荷物貫目改所跡

案内板 「 荷物貫目改所跡荷物の目方を検査する役所で、問屋場と併設されていた。中山道では、洗馬・板橋・追分の3宿に置かれた。規定の重量を超えた荷物に増賃金を徴収するなど、伝馬役に過重な負担がかからないようにした。この建物は、明治の一時期、洗馬…

洗馬宿について

塩尻市観光協会HP「時めぐり」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓洗馬宿右中山道、左北国脇往還善光寺道」と記された道標が立ち、二つの街道の分岐点として栄えた洗馬宿は、起点の板橋宿から31番目の宿場です。浮世絵師・安藤広重の木曽街道「中山道六十九次」の中で、唯一無二…

洗馬宿 あふた(邂逅)の清水

あふた(邂逅)の清水 石碑 「 あふたの清水木曽義仲奉弘仁三令與兵木曾谷討平氏相傳今井兼平自其郷來會邂逅于此時義仲馬額疼兼平牽至此泉洗足以醫其勞是地名洗馬之所以超也而里俗至今呼此泉為邂后清水恐舊蹟之久而煙没建石以表焉 」このように読めますが、変…

洗馬宿 分去れ

分去れ 案内板 「 中山道と善光寺街道の分去れ中山道は右に折れて肱松の坂(相生坂)を上り、桔梗ヶ原を経て塩尻宿 へと向かう。江戸へ30宿59里余。左は北国脇往還の始まりで、松本を経て麻績から善光寺へ向かう。善光寺街道とも呼ばれる。善光寺へ17宿19里…

洗馬宿 肱懸松

案内板 「 肱懸松(ひじかけまつ・肱松)『洗馬の肘松日出塩の青木お江戸屏風の絵にござる』と歌われた赤松の名木。細川幽斎が『肘懸けてしばし憩える松陰にたもと涼しく通う河風』と詠んだと伝えられている。また、江戸二代将軍秀忠上洛の時、肱をかけて休ん…

平出遺跡 平安時代の村

平安時代の村 案内板 「 平安時代の村 平安時代に入ると住居は遺跡全体に広がり、50軒以上の住居跡が見つかっています。 ここでは平安時代の1戸と呼ばれる複数家族の家並みを復元しており、ニワを中心に4棟の住居と1棟の納屋からなる住居群を中心に、周囲に…

平出遺跡 縄文の村

縄文の村 案内板 「 土器・土偶の出土遺構(J-26号・縄文中期)からはたくさんの土器や河童型土偶などが出土しました。 」案内板 「 復元土器と埋甕炉(マイヨウロ)縄文中期の復元住居(J-25)です。遺構のほぼ中央に埋甕炉があり、床面に焼土が見られました。 」…

古墳時代の村

古墳時代の村 案内板 「昭和57年の発掘調査によって発見された古墳時代(約1300年前)の竪穴式住居を復原したものである。4本柱で、屋根が直接地面に接し出入口は南側に造られ、室内左手にカマドが設置されている。こうしま伏屋(屋根だけの家)は当時の一般的住…

平出遺跡公園

案内板 「 平出遺跡公園平出遺跡は、縄文時代から古墳・平安時代にかけての大集落遺跡です。遺跡の南西に横たわる比叡ノ山のふもとには平出の泉があり、遺跡は泉から流れ出る渋川に沿って東西1km、南北300mの範囲にわたって広く分布しています。遺跡からは現…

平出の一里塚跡

平出の一里塚跡 案内板 「 市史跡 平出一里塚現在地 塩尻市大字宗賀(おおあざそうが)一二二-二 指 定 昭和四十六年三月五日(1971年)一里塚は、慶長9年(1604年)に江戸幕府の命により各街道に築かれはじめ、同12年にほぼ完成をみた。 三十六町を一里とし…

上諏訪駅の足湯

上諏訪駅の足湯 案内板 「 足湯 上諏訪駅ホームの露天風呂は足をお湯の中に入れることで上諏訪温泉の気分と効能を味わうことができる足湯です。 足湯には血行を良くし、疲れた神経や身体を癒すなど健康増進効果があり足の痛みはもとより、風邪気味で頭痛がす…

片倉館

片倉館 片倉館 wikipediaより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓片倉館(かたくらかん)は、長野県諏訪市上諏訪温泉の温泉施設である。一般財団法人片倉館が管理している。会館、浴場、渡廊下の3棟が国の重要文化財に指定されている。 深さ1.1メートルの千人風呂で有名。同敷地内に…

耳塚神社

耳塚神社伝説 耳塚様と呼ばれ昔は耳の病気の直ることを祈った。桔梗ヶ原の戦いとか安曇族王に関係ありとも言われる。 明治29年先祖が野ざらしになっていた塚に祠を建て2本の剣を御神体として祀った。耳の形に似た素焼きの皿やおわんに穴を開けて奉納すると耳…

大門神社

大門神社 shiomihyo.exblog.jpより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓祭神 誉田別命(応神天皇)、大鷦鷯命(仁徳天皇)。 若宮八幡社(祭神 誉田別命)、柴宮八幡社(祭神 大鷦鷯命)は もとは別々の神社であり 其々指定村社であった。 昭和27年二社に於いて合併の議論が起こり、 …

堀内家住宅

堀内家住宅 文化遺産オンラインより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓長野県 江戸後期/1701-1800 桁行18.4m、梁間18.2m、一部二階、切妻造、妻入、南面庇付、板葺、 東北面二室及び便所三所附属 1棟 長野県塩尻市堀ノ内117番地 重文指定年月日:19730602 国宝指定年月日: 重要文化…

塩尻宿 阿禮神社

阿禮神社塩尻市観光協会HPより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓「 延喜式神名帳」にも記された古社で、もともと「阿礼ノ神」は、塩尻峠(塩尻市と岡谷市の境)西麓を流れる四沢川流域で集団生活を送っていた諏訪族神氏を祖とする氏族が、上流にある五百砥山そのものを御神体に祀っ…

塩尻陣屋跡

塩尻陣屋跡 asahi-net.or.jpより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓塩尻陣屋は、中山道に面して塩尻宿の本陣・脇本陣と並んで築かれていた。 本陣跡には立派な案内板と石碑があるのでこれが目印だ。 現在は脇本陣跡西隣にある笑亀酒造の敷地となっていて、酒蔵の前に小さな石碑が立…

小野家住宅

小野家住宅 標注 「国重要文化財 小野家住宅指定日 昭和四十八年 六月二日 追加指定日 平成二十一年 六月三十日」 文化遺産オンラインより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓長野県 江戸末期/1850 桁行15.6m、梁間9.1m、二階建、切妻造段違、南面庇付、桟瓦葺、 北面突出部 桁行7.3…

永福寺観音堂と仁王門

永福寺観音堂 案内板 「 市有形文化財 慈眼山永福寺観音堂 所在地 塩尻市大字塩尻町一二二三番地 永福寺は木曽義仲ゆかりの地で元禄十五年(一七〇二年)現在地に伽藍と木曽義仲信仰の馬頭観世音を本尊とする朝日観音を建立したがその後焼失した。安政二年二月…

首塚 胴塚

案内板 「 首塚・胴塚 戦国時代 塩尻峠の合戦で 討ち死にした兵の 亡骸を地元民が 葬ったといわれる 」案内板の横に、塩尻東小学校の児童が描いたかるたもありました。 石碑文 「 首塚・胴塚の由来 今を遡る事、434年前、歴史上戦国時代と言われる天文17年7…

東山一里塚跡

案内板 「 市史跡 東山一里塚所在地 塩尻市大字旧塩尻七〇一番地四 平成元年三月三十一日 塩尻市史跡指定 東山一里塚は、東山地籍(犬飼清水と茶屋本陣の中間)にあり古図には道を挟んで二基描かれているが、南側のみが現存している。 この塚の大きさは、幅…

塩尻峠 富士浅間神社

案内板 「 富士浅間神社 江戸時代 松本領・諏訪領と の郡境の宮として 石祠を俸祀した。 」

岩船観音

案内板 「 石船観音 岡谷市教育委員会 本尊馬頭観音が船の形をした台石の上に祀られているところから石船観音と呼ばれ、とくに足腰の弱い人に対して霊験あらたかであるといわれている。境内を鳴沢清水といって豊富な清らかな水が流れていて、参拝者の喉をう…

旧御小休本陣跡(今井家)

旧御小休本陣(今井家) 案内板 「 旧御小休本陣 今井家 旧今井村は、中山道塩尻峠の東の登り口にあって、古来交通上の要衝で、江戸時代には、こゝに御小休本陣が設けられ、今にその旧観を残して居る。 中山道 は江戸と京都を結ぶ裏街道として、江戸時代には、…

日限地蔵(平福寺境内)

日限地蔵(平福寺境内) 平福寺ホームページより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓日限地蔵尊(通称・ おひぎりさま)は願い事を託す「願かけのお地蔵さま」です。「日を決めて参拝すると、不思議にもご利益がある」と伝えられ、日々多くの方が参拝にみえます。毎月23日のご縁日、特に…

長野県宝 旧渡辺家住宅

旧渡辺家住宅 「旅たび 岡谷」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓渡辺家は長地東堀にあり、高島藩の散居武士の家です。安政年中(1854年以降)の「家中分限帳」(武士の身分、禄高を記した帳面)によると、「郡方下役外様御徒士18俵2人扶持渡辺斧蔵」とあって、下級藩士であったこ…

魁塚碑

魁塚碑 下諏訪町HPより↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓魁塚(相楽塚)・所在地 魁町 ・所有者 下諏訪町 ・指定 昭和49年6月24日 町・史跡 この魁塚は(さきがけづか)、相楽総三(さがらそうぞう)(本名 小島将(まさ)満(みち)1839~1868)始め8人の赤報隊(相楽率いる一番隊の呼称)幹…