2度目の東海道11日目の5
5月2日(木)の5
【掛川七曲へ】
12:23 もちや
「もちや」HP
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創業200年 8代目当主ご挨拶
当店は創業から200年が経ち、
当代で8代目となります。
旧東海道沿いという事もあり、
昔は馬を引いて東海道を行き交う人々が多かったようです。
そのような場所で今日まで続いてきた名物「振袖餅」を、
より多くの方に知って頂きたいという思いで毎日一つ一つ丁寧に作っています。
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振り袖餅は、形が振り袖に似ているところから名付けられたそうです。
12:28 七曲り入口
こちらの写真は、かくっと曲がっているところに常夜燈がある場所です。
七曲りの途中(わりと初めの頃)に「そねめん」の暖簾。
有限会社「そねめん」、Webでの、自己紹介より
「静岡県掛川市で、製麺業をしております。葛粉の入った葛そば、葛うどん、茶そば、生ラーメン、焼きそば、玉めんのうどん、そばです。 」
【地元のみなさん、ありがとう】
夢街道東海道の標識「掛川七曲」には、デッキブラシが立て掛けられていました。
東海道を歩いていると、私は歴史的に価値がある、とか、これは目印なのに、と思っていても、地元の人にはいつもそこにあるもの、だから、真ん前に車や、看板を置いたり、傘を干したり、こちらからすると、写真を撮るのに邪魔だな、それを置かれちゃうと道がわかりづらいな、と思うことが結構あります。
でも、道を整備したり、安全に保ったり、大事に維持してくれるのも地元の人たち。
ありがとうの気持ちを忘れず、けっして、そんなところに置いたら邪魔、なんて口が裂けても言ってはいけません。
12:35 七曲り説明板
「 七曲り
葛川と新町の境に堀割があり、ここにかかる橋を渡ると門がありました。この門から西が宿場のなかです。ここから東海道 は南に折れ、道がかぎの手にいくつも折れ曲がる新町七曲に入ります。七曲りは、容易に敵を進入させないための構造だと考えられます。七曲りの終点に、城下に入ってくる人物や物を取り締まるための木戸と番所がありました。番所には、捕縛のための三道具(刺股・突棒・袖がらみ)や防火用の水溜め桶などが備えられていました。
新町は、山内一豊 が整備した城下町の東に発達した町並みで、元和六年(一六二〇)町として認められました。 」
【嗚呼、二の丸御殿】
掛川城公園の入口まで行きましたが、掛川城は建て直した、江戸時代からのものではないのに、入場券410円は高いなあ、と思い、見ないで戻ってきました。
後で聞いたら、二の丸御殿は価値があるけれど、天守閣は見なくてもいいそうです。
せっかくだから、二の丸御殿は見てくればよかった。
東海道に戻り、写真3は、清水銀行のレリーフ、山内一豊と千代夫人の像。
13:06 円満寺の門
掛川城の蕗の門が山門として移築されています。
【首塚はパス】
掛川市HPより
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天慶3年(940年)、藤原秀郷が平将門一門19名を討伐してその首を弔った塚と伝えられており、昔は19基あったものが時代と共に減ってゆき、将門のものと思われる大きな1基だけが残されたといわれています。
その後、将門の首塚を取り囲むようにして18基の首塚が新しく作り直されました。
地元では首塚を町の守り神として、彼岸と命日にあたる8月15日に供養祭が行われています。
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十九首塚は、東海道から少し外れているため、見に行きませんでした。(10年前は道を急いでいたためか、道標にも気づきませんでした。)
13:17 秋葉常夜燈
2度目の東海道11日目の6(袋井宿への道)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2019/12/23/204302