紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

青葉山公園 二の丸跡

 

案内板
「二の丸は寛永15年 (1638) 二代藩主伊達忠宗によって造営された。二の丸の御殿(ごてん)部分への入口は詰門 (つめのもん)  と呼ばれ、瓦葺(かわらぶき)で平屋造(ひらやづくり)ではあるが、棟の両端に鯱瓦(しゃちがわら)が堂々たる門であった。この門を入ると、玄関、遠侍(とおざむらい) 、小(こ)広間、能舞台、御座間(ござのま)などの主要殿舎(でんしゃ)が建ち並 んでいた。対面等の儀式の場である小広間は総面積が 145坪あり、本丸大広間の約3分の2の広さがあった。北西部には中奥(なかおく)と呼ばれる私的建物群などがあり、藩 主の日常生活の場として機能した。文化元年(1804) に火災にあった後に再建されている。明治に入ると一時、仙台藩の役所である 『勤政庁(きんせいちょう)』 が置かれ、その後は 仙台鎮台(ちんだい)、第二師団が置かれた。明治15年の火災で ほとんどの建物が焼失した。」