案内板
「二の丸は寛永15年 (1638) 二代藩主伊達忠宗によって造営された。二の丸の御殿(ごてん)部分への入口は詰門 (つめのもん) と呼ばれ、瓦葺(かわらぶき)で平屋造(ひらやづくり)ではあるが、棟の両端に鯱瓦(しゃちがわら)が堂々たる門であった。この門を入ると、玄関、遠侍(とおざむらい) 、小(こ)広間、能舞台、御座間(ござのま)などの主要殿舎(でんしゃ)が建ち並 んでいた。対面等の儀式の場である小広間は総面積が 145坪あり、本丸大広間の約3分の2の広さがあった。北西部には中奥(なかおく)と呼ばれる私的建物群などがあり、藩 主の日常生活の場として機能した。文化元年(1804) に火災にあった後に再建されている。明治に入ると一時、仙台藩の役所である 『勤政庁(きんせいちょう)』 が置かれ、その後は 仙台鎮台(ちんだい)、第二師団が置かれた。明治15年の火災で ほとんどの建物が焼失した。」