紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2022-05-18から1日間の記事一覧

石和本陣跡(市指定史跡文化財)

案内板 「 石和本陣跡(市指定史跡文化財) 宝暦11年(1761) 信州高遠城主内藤大和守が参勤交代のため、初めて本道 ようじんべえ 中を通行することになり、 石和宿仲町の後藤甚兵衛に本陣を命じたことが けいじょう はじめといわれる。以来子孫が継承して明治に…

石和宿本陣跡

案内板 「 石和本陣跡 本陣は江戸時代、大名公家幕府の役人高貴な人の宿泊する所である。 石和御本陣は寛永年間(1625頃)幕府の命により此処に置かれた。特に大名が宿泊し信州松代城10万石を初め全国の諸大名が宿泊し、大名宿とも言われ明治維新まで続いた…

勝沼学校跡

案内板 「 勝沼学校跡 勝沼町内には、明治九年に造られた祝学校と明治十三年に造られた勝沼学校の二棟の藤村式学校建築がありました。共に南部下山大工の松木輝殷(てるしげ)が手掛けたものです。 勝沼学校は、勝沼町と等々力村の学校として建てられ、明治十…

旧田中銀行社屋

案内板 「 旧田中銀行社屋 国登録有形文化財 明治30年代前半に勝沼郵便電信局舎として建てられた洋風の建物。大正9年より昭和7年ごろまで『山梨田中銀行』の社屋として利用されていました。 外壁は砂漆喰を用いた石積み意匠、玄関の柱や菱組天井、二階のベラ…

勝沼宿仲松屋

案内板 「 勝沼宿仲松屋 勝沼宿 仲町の中松屋住宅は、江戸時代後期の主屋を中心とした東屋敷と明治前期の建築を中心とした西屋敷の二軒分の商家建築から成る。東屋敷の主屋は北西隅に帳場を置く田の字型を基本とした、板葺、二階建建築で、通り土間を挟み明…

柏尾の古戦場

案内板 「 柏尾の古戦場 明治元年(1868)3月6日、近藤勇率いるかつての新撰組、会津藩兵甲陽鎮撫隊と因幡、土佐、高遠藩兵からなる官軍がこの地で戦った。 甲府城占拠を目指す幕府軍は先に甲府入城を果たした官軍を迎え撃つため、勝沼宿に2ヵ所の柵門、柏尾…

柏尾坂の馬頭観音

案内板 「 柏尾坂の馬頭観音 明治36年(1903)中央本線が開通するまで「甲斐駒や江戸へ江戸へと柿葡萄」(其角)が伝えるように、甲州街道の物流を担っていたのは馬である。街道に沿って配置された宿場には、高札で次の宿までの馬での運送賃が駄賃として掲げられ…

柏尾の戦い

案内板 「 柏尾の戦い 慶応4年(1868)3月5日、江戸より大久保剛(近藤勇)率いる幕府軍は、柏尾橋の東詰、鳥居の前に本陣を据え、大砲を二門据えつけ、宿内二箇所に通りを遮る柵門を設け、日川左岸の岩崎山に日野の春日隊を配した。夜にはいたる所で簿火がたか…

柏尾橋

案内板 「 柏尾橋 明治13年6月明治天皇の山梨御巡幸に際し、甲州街道の拡幅整備が進められた。 この時柏尾橋は、幅3間長さ19間の欄干付き木造橋として掛け替えられた。橋は深沢の両岸の岩盤中程から、二段の石垣を積み上げ橋台とし、下段の石垣からトラス構…