紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2度目の東海道五十三次歩き7日目の4(由比宿〜間の宿倉沢)

2度目の東海道7日目の4

4月5日(金)の4

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【由比宿の入り口】

神沢川手前で県道と別れ、左斜めに静かな旧道に入ります。

11:54 神沢川酒造
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11:57 由比の一里塚跡
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正午に「椰子の実」のチャイムが鳴りました。

12:01 御七里役所之趾
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「ふじのくに文化資源データベース」より

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七里役所之趾

飛脚衆、活躍の証

江戸時代、西日本地域の大名には江戸屋敷と領国の居城との連絡に『七里飛脚(しちりひきゃく)』と言う直属の通信機関を持っており、由比には『紀州・徳川家』の七里役所と御七里衆の長屋がありました。
同家では、江戸から和歌山間に七里(28キロメートル)ごとに役所を置き、5人1組の飛脚を配置していました。
主な役目を務める者を『御七里役(おしちりやく)』や『御七里衆(おしちりしゅう)』と呼び、昇り竜・降り竜が描かれた伊達半天を着て、腰には刀や十手を差し『七里飛脚』と言う看板を持ち、徳川御三家の威勢を発しながら往行していました。

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【由比本陣公園】

12:04 由比本陣公園
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公園内に広重美術館がありました。疲れていて、展示はザッと流して見ましたが、映像があって、広重の浮世絵は、四季、四時、天候を描き分けた、という話でした。

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こちらの写真は、10年前に撮った、広重美術館内の日本橋
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たぶん、この日本橋のみ撮影可で、他はNGだったんじゃないかな?


【正雪紺屋】


12:05 正雪紺屋f:id:asiandream0804:20191111081239j:plain

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公園の向かいに由井正雪の生家、正雪紺屋があり、私はハンカチか手拭いを買うつもりで楽しみにしていたら、暖簾が出ているのにガラス戸が開かないので、電話してみたところ、今日はこれから出掛けるから、閉めたそうです。がっかり…

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12:05 脇本陣温飩屋
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案内板

脇本陣温飩屋(うんどんや)

由比宿には脇本陣をつとめた家が三軒ありました。そのうち江戸時代後期から幕末にいたるまでつとめたのが、この温どん屋です。
東海道宿村大概帳(天保十二年、一八四一、幕府編集)に、脇本陣壱軒、凡そ建坪九十坪、門構え、玄関付と記帳があります。
静岡市

12:06 明治の郵便局舎
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案内板の写真だけ撮って、建物を撮らなかったので、こちらの写真は、10年前に撮った写真です。
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みんカラ」より

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江戸時代、郵便の送受は飛脚便によって行われていましたが、由比宿では現在の由比薬局の位置で朝日麟一氏によってその業が行われており、飛脚屋と呼ばれていました。
明治4(1871)年3月、郵便制度の創設により、飛脚屋は由比郵便取扱所となり、さらに明治8(1875)年1月由比郵便局と改称されました。
明治39(1906)年5月、平野義命氏が局長となり自宅に洋風の局舎を新築し、明治41(1908)年1月より郵便局を移転しました。この局舎は昭和2(1927)年7月まで使用され、現在は平野氏私宅となっています。

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弥次喜多が一人しかいない】

12:07 おもしろ宿場館?
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10年前に来た時、楽しく見学したおもしろ宿場館の様子が変。

弥次喜多がひとりしかいない。
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建物に入ったら、二階のレストランはやっているものの、一階の展示室は今日が休み、というわけではなく、明らかに封鎖されていました。

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【 笑える弥次喜多

その先、由比宿おもしろ宿場館の門前には、ひょっとこみたいな顔をした弥次喜多がいました。
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江戸時代にタイムスリップする、というおもしろ宿場館は入館料400円。う~ん、面白かったけど、400円は高いかなあ。
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2階にレストラン「パノラマテラス海の庭」があり、ここで桜えびかき揚げとせいろ蕎麦とミニ丼(4種類から選べて、私はマグロ漬け丼にしました)を食べました。ボリュームたっぷり。美味しかった。

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今、東海道がブームになっているって聞いたのに、閉館は寂しいなあ。


【白雪丼】

今日は物凄い強風で歩くのがたいへんな分、海はきれい。

二階のパノラマテラス「海の庭」はロケーション最高。
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今日は風が強い日ですが、海に白浪が立って、風の強さを物語っています。

由比は日本一桜エビの町なんですが、残念ながらここのところ不漁で、生桜エビはありません。

二大オススメメニューの内、私が食べた白雪丼(桜エビのかき揚げと釜揚げシラス丼)はあったのですが、生桜エビの回りに桜エビのかき揚げを配した赤富士丼は品切れになっていました。
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下の階のおもしろ宿場館は、やはり閉館になってしまったそうです。


12:38 由比川橋
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【せがい造りと下り懸魚】


12:44 稲葉家
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案内板

「 せがい造りと下(くだ)り懸魚(げぎょ)

 せがい造り

 軒先を永く出した屋根を支えるために、平軒桁(ひらのきげた)へ腕木(うでき)を付け足して出桁とし*(たるき)を置いたもの。
 民家建築に美観を添えたもので、由比町の町並みに特に多くみられる。

 下(くだ)り懸魚(げぎょ)

 平軒桁(ひらのきげた)の両端が風雨による腐食を防ぐための装置で、雲版型の板に若葉、花鳥などを彫り込み装飾も兼ねている。

稲葉家は、この下り懸魚が施されている建物である。

静岡市

私は下り懸魚の写真は撮らなかったので、こちらの写真は、ネットからお借りした写真です。
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12:48 豊積神社
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13:01 由比駅
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【桜えび通り〜歩道橋〜小池邸】


写真の由比桜えび通りは印象的です。
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13:05 寺尾歩道橋
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薩埵峠 へは歩道橋を渡ってください、と書かれていました。

13:15 名主の館小池邸
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「ハローナビしずおか」より

「 名主だったこの館は、明治期に建てられたもので、低い軒の瓦葺き、正面の潜り戸付の大戸、その脇のナマコ壁、格子等、当時の面影を残した状態で修復し、薩た峠のハイカーや東海道の江戸期を楽しみに訪れる方のお休処となっています。」


【あかりの博物館】


由比宿と難所の薩埵峠が離れすぎているため、間の宿、寺尾と倉沢が置かれていたそうです。

小池邸も倉沢宿です。

13:15 あかりの博物館
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あかりの博物館で、思いがけずゆっくり休憩できました。
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入館料が500円で、最初は高いと思ったのですが、コーヒーを出してくれて、灯りを消したりつけたりしながらいろいろな灯りの説明をしてくれました。特に小田原提灯や、ろうそくを持ち歩くための道具が面白かった。

火種の付け方がまた面白い。鉄より硬度の高い石で鉄を砕くことによって火花が出て、消し炭の火だねに火がつきました。

私は「防災用にどうぞ」という太い蝋燭を買いました。

【川島家、柏屋、望嶽亭藤屋】


13:32 川島家茶屋本陣跡
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案内板

「 間の宿 川島家

 ここ西倉沢は、薩埵峠の東坂登り口に当たる「間の宿」で十軒ばかりの休み茶屋があって、旅人はここでお茶を飲み、疲れをいやし、駿河湾の風景を賞で旅だっていった。
 ここ川島家は、江戸時代慶長から天保年間凡そ230年間代々川島勘兵衛を名乗り、間の宿の貫目改所の中心をなし、大名もここで休憩したので村では本陣とも呼ばれ、西倉沢村名主もつとめた旧家である。

静岡市

13:33 柏屋
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案内板

明治天皇ご小休 柏屋

 江戸時代から間の宿にあって、柏屋と称して茶店を営んできた。
 明治元年及び11年、明治天皇ご東幸のみぎりは、ご小休所に当てられた。
 明治15,6年頃、静岡県令大迫貞清(おおさこさだきよ)が療養のため柏屋に逗留された際、倉沢の気候風土が郷里の九州ににているところら、田中びわの種子をとりよせ栽培をすすめ、当地に田中びわが普及するところとなった。

静岡市

13:34 望嶽亭 藤屋
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案内板

「 間の宿 藤屋

 薩埵峠の東登り口に位置しているところから一名を坂口屋といわれ、本来は藤屋と称して茶茶店を営み、礒料理、あわび、さざえのつぼ焼きを名物にしていた。
 ここより富士山の眺望がよいので「望嶽亭」と称し、文人墨客が好んで休憩したといわれている。

   静岡市

 
 また、「藤屋」には幕末、官軍に追われていた山岡鉄舟が座敷の地下から舟で清水に逃げたというエピソードもあり、鉄舟の残していったピストルも展示されているらしいです。

今日は望嶽亭はしっかり戸締まりされていましたが、10年前は玄関が空いていて

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ご自由に見学してください、と書いてあって誰もいないので、座敷に上がっていいのかも分からず、土間から眺めて出てきました。
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13:35 西倉沢一里塚跡
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日本橋から40番目の一里塚跡。

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2度目の東海道7日目の5(薩た峠〜興津宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2019/11/14/082916