紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2度目の東海道五十三次歩き7日目の3(蒲原宿)

2度目の東海道7日目の3

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4月5日(金)の3


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蒲原宿の手前の道々、花がきれいでした。
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【光蓮寺】

10:39 光蓮寺
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坂道沿いの独特な塀が印象的で、10年前にもここを通ったのを覚えています。
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クリスマスローズがきれいな花の寺として最近有名なんだそうです。

こちらは光蓮寺で撮った写真ではなく、ここまで来る道々撮った写真ですが、X'masローズです。
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また、奥州に落ちていく源義経との悲恋の話が残る浄瑠璃姫伝説もあるそうです。


10:43 蒲原の一里塚跡
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日本橋から38番目の一里塚跡。
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【壊滅したから】

10:44 北条新三郎の墓入り口
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北条早雲の流れを汲む、蒲原城主だそうです。

10年前は見に行きました。すごい坂を上っていったら、墓は暗いところに建っていました。

10:45 諏訪神社
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すごい急階段!

江戸時代、元禄12年(1699)に台風と大潮が重なった津波で蒲原宿は壊滅しているので、山の上に神社を作ったんでしょうね。


【東木戸・常夜燈】

10:46 東木戸・常夜燈
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説明板

「 東木戸(ひがしきど)・常夜燈(じょうやとう)
 江戸時代の宿場の入り口には、見附(みつけ)や木戸(きど)と呼ばれるものがありました。蒲原宿(かんばらしゅく)の入り口には木戸が設置されており、東の入り口のことを「東木戸(ひがしきど)」と呼んでいました。なお木戸と木戸との間のことを「木戸内(きどうち)」といいます。東木戸は、わずかではありますが桝型(ますがた)になっています。
 また東木戸には「常夜燈(じょうやとう)」が残されています。常夜燈 とは、今でいう街灯にあたるもので、各所に設置し、暗い夜道を明るく照らし続けていました。東木戸にある常夜燈には「宿内安全(しゅくないあんぜん)」という文字が刻まれており、宿の入り口を照らしていました。文政(ぶんせい)十三年(一八三一)ものと考えられています。
静岡市  」

その先の大きな送水管が印象的です。
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【イルカのすまし、あります。】

10:51 「蒲原名物 イルカすまし あります」看板
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10年前、買いました。

10年前のブログ

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【イルカすましあります】

その先に、「イルカすましあります」と書いた看板。(写真2)長男にイルカのすましを買ってきて、と頼まれたので、買いましたが…高い…10切れほど入っていて1000円。
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1つだけ食べてみたけど、ロバの耳みたいに臭くて、口直しが欲しくて飴かなにかを探したけれど、売っていませんでした。
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蒲原でイルカすましを買ってみようと思う方、飴か何か持っていくとよいと思います。

いっそ、ワンカップ大関を持っていってすぐに酒盛りするとか。

保冷バックと保冷剤も必要かも。

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懐かしくて看板の写真を撮っていたら、お店のご主人と思われるご年配の方が

「いらっしゃい」

と、出ていらしたので、

「この前来たときに買ったので、懐かしくて。でも、あまり好きではなくて」

「好き嫌いが別れるんですよ。好きな人はたまらないんですよ」

ご主人は、知り合いのSさんに似ていました。


馬頭観音供養塔と塗り家造りの家】

10:53 馬頭観音供養塔
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馬頭観音の由来看板
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「『馬頭観音』供養石塔の由来
文:東漸寺住職 小西亮衡

かって馬が貨客の運搬、農作業など、生活の重要な役割を担っていた時代『馬頭観音』は馬の守り神として、人々の親交を集めていました。また、予防に立てられた、その石像や供養塔は、往還(街道)の道しるべとしても親しまれていました。
江戸時代、このあたりから蒲原宿東木戸にかけての間は伝馬や宿役に使われた馬を飼う家が並んでいました。この付近にも昭和の初め頃まで馬小屋があり、馬頭観音が立てられていたとつたえられていましたが、昨年11月、通りの北側駐車場整備の際、半分土に埋もれた、この馬頭観音供養塔が発見されました。
そこで、往時の人々の馬に寄せるあたたかいこころを偲び、この場所に新たに安置してお祀りすることにいたしました。
平成11年3月 株式会社望月米殻」



10:54 なまこ壁と塗り家造りの家
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説明板

「なまこ壁と塗り家造りの家(佐藤家)

当家は 元「佐野屋」という商家で、壁は塗り壁で町家に多く見られる造りですが、このような町家を「塗り家造り」といいます。
「塗り家造り」は「土蔵造り」に比べて壁の厚みは少ないが、防火効果が大きく、昔から贅沢普請ともいわれています。もともとは城郭などに用いられた技術であり、一般には江戸時代末期以降に広まったと考えられております。
なまこ壁の白と黒のコントラストが装飾的で、黒塗りの壁と街道筋には珍しい寄棟の屋根とがあいまって、重厚感があふれています。
静岡市

蒲原の桜の名所、御殿山広場への入り口です。
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10:55 塗り家造りの家
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説明板

「商家の面影を残す『塗り家造り』
(吉田家)
当家は、昭和まで続いた『僊菓堂』という屋号で和菓子を作る商家でした。
玄関はなまこ壁の『塗り家造り』で、中に入ると柱がなく広々とした『店の間』づくりになっていて、商家らしい雰囲気が残っています。土間には当時の看板が掲げられており、『中の間』にはらせん状の階段があって、二階に通じています。
静岡市

馬頭観音の、親しまれていた信仰がよくわかり、また、なまこ壁の素敵な家を二軒も見ることが出来ました。


【本陣跡と、雪の蒲原の謎】

蒲原宿本陣跡
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駿府 静岡市(静岡市の観光情報サイト)より
「 蒲原宿 本陣跡
かんばらじゅく ほんじんあと 
本陣跡は、蒲原宿にあった本陣の跡地です。本陣は各宿場町に必ず置かれていました。その役割は参勤交代で東海道を行き来する大名の宿泊場所です。蒲原宿には、東本陣と西本陣の2つがありましたが、本陣跡として残っているのは、西本陣になります。現在の本陣跡に建てられている建物は大正時代のものになりますが、当時のものとして御駕籠石という大名の駕籠を置いたとされる石が邸内に残されています。」

10:56 問屋場f:id:asiandream0804:20191109195119j:plain


問屋場は、人馬継ぎや飛脚・荷物を取り扱う所です。

さて、写真は、広重が描いた蒲原宿。
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10年前のブログ

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歌川広重「蒲原夜之雪」】

蒲原に広重が来たのは夏なのに、広重の描いた蒲原は雪景色でした。

広重の本心は分かりませんが、取り立てて何の取り柄もない宿場町が、夜の雪の風景に仕立てられていて、静けさ、冷たい空気感、旅人の心細さ、見た目の美しさなど、広重の五十三次の絵の中でも最高傑作と言われています。

実際の蒲原には、滅多に雪は降りません。


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実はこの情報は、次の由比宿の本陣公園内にあった広重美術館で知った話です。



【旅籠和泉屋】

10:57 旅籠和泉屋
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写真を撮った時、私は上野御徒町2枚の写真のお休み処と、その左隣の旅籠和泉屋(下の写真)は別物と思っていました。
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しかし、本来はひとつの旅籠和泉屋だったのが、今は別々の方の所有になっているとのこと。

駿府 静岡市(静岡の観光情報サイト)より

「 お休み処(旅籠和泉屋)
おやすみどころ はたごいずみや 
お休み処(旅籠和泉屋)は、江戸時代に東海道を行く旅人が宿泊をした場所です。
旅籠和泉屋だったころは、一つの建物でした。しかし、現在では左側4間が個人の住宅、右側2間弱がお休み処として公開されています。
建物は天保年間(1830年~1844年)に建てられ、安政の大地震でも倒壊しませんでした。
その為、当時の建物の造りをお休み処で見学することができます。」


その事情を知らなかったので、中に入りませんでした。

また青春18きっぷの旅でこの辺りを歩きにこようと思うので、その時はたっぶり見ようと思います。


【手作りガラスと総欅の家】


10:59 手作りガラスと総欅の家
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案内板

「手作りガラスと総欅の家
(磯部家)

明治四十二年(一九0九)に建築された当家は、素材の美しさから近世以降、寺院建築に多く用いられた欅を材とし、走らなかった梁から一枚板の戸袋に至るすべてが欅づくりで、永年磨き込まれた木目が見事です。
二階の窓ガラスは波打つような面が美しい手作りのガラスです。
日本における板ガラスの生産開始が明治四十年ですから、国産、輸入品の見分けは困難ですが、当時のブログを最先端の建築用材といえます。
静岡市

11:01 高札場跡
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【蒲原御殿場跡と旧五十嵐邸】


11:01 御殿道跡
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天正10年(1582)に、家康が浮島ヶ原(原の湿地帯)をご覧になるという信長をもてなすために作ったのが蒲原御殿。

11:02 旧五十嵐邸
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上の写真は今回撮ったもの。下の写真は10年前に撮った写真です。
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旧五十嵐邸を考える会HPより

東海道蒲原宿の街道沿いにたたずむ旧五十嵐邸は、大正期以前に町家建築として建てられました。

 大正3年(1914)に、故五十嵐準氏が歯科医院を開業するにあたり、町家を洋風に改築。その後昭和15年ごろまでに、西側・東側部分をそれぞれ増築し、現在の形になりました。

 平成12年には、旧来の町家の特徴を残しながら外観が洋風、というユニークな造形が評価され、国の登録有形文化財となりました。 」


【格子戸が美しい、志田家、増田家】

11:03 志田家
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Japan highlights travel サイトより

「 格子戸が美しい江戸時代の商家

米や塩などを扱い江戸時代後期からは醤油の醸造を行っていた、旧東海道の蒲原宿にある志田家の母屋。安政地震1854年)で被災しましたが翌年すぐに再建され、現在に至っています。今では資料館として活用され、関所手形、寺子屋の教科書・手帳などとともに、醤油造りの道具や古い農機具など志田家で使用されていた物を展示。江戸時代の宿場の様子や人々の生活を知ることができる貴重な建物です。 」

11:05 美しい格子戸の家
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この写真は今回撮ったもの。

こちらの写真は10年前に撮った写真です。
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案内板

「 美しい格子戸(こうしど)の家(いえ)  (増田家(ますだけ))
 格子戸(こうしど)は、古くは平安時代に初めて現れた建具(たてぐ)で、伝統的な日本建築工法(にほんけんちくこうほう)の一つです。細い角木(かくぎ)を縦横に間(ま)をすかして組(く)み、窓または出入口に取り付けますが、組子(くみこ)の組み方にも幾種類(いくしゅるい)かあり、また、組子だけで吹通(ふきとお)しのものや、面に板を張るものなど、気候風土(きこうふうど)に合わせた工夫がなされています。
 かっては街道沿(かいどうぞ)いに格子戸の家並(やな)みが続き、毎日主婦によって磨(みが)き込まれた美しい木目(もくめ)が、この町独特(どくとく)の情緒(じょうちょ)ある風景(ふうけい)でした。
静岡市

増田家には現在お住まいの住人の方がいらして、こちらの写真の左に写っている自転車の方が訪ねていらっしゃったところでした。
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長栄寺前で小休止】

11:06 長栄寺石碑
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ここは10年前の記憶、しっかりあります。あの時もここで立ち止まって暫しの休憩をしましたが、今日も小休止しました。

11:12 和歌宮神社
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その先、西木戸跡は見逃してしまったので、こちらの写真は10年前に撮った写真です。
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ここから県道396交戦に出て、暫くは真っ直ぐ真っ直ぐ歩きます。

途中、セブンイレブンでトイレを借りました。
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11:39にはJR蒲原駅前を通りました。
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2度目の東海道7日目の4(由比宿〜間の宿倉沢)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2019/11/11/081600