案内板
「 中馬宿 馬宿 (ちゅうまじゅく うまやど)
宿場の任務は三つあり、公用荷物優先運搬の人馬の継立て、旅人の休泊、通信業務でした。幕府は、この業務のために人足と馬と馬子を常備させ、問屋が取り仕切っていました。江戸中期以降商業が盛んになり、荷物の動きが多くなると、問屋経由の運送では間に合わなくなり、私設の中場荷物問屋(中場宿)が発達しました。
この馬宿は、江戸時代から明治三十八年まで小林家が一五〇年間中場宿(馬宿)を営業しておりました。現在の建物は明治十三年に上隣の家を買い敷地が増えた所へ以前の倍近い馬宿を建て、表に馬車を駐車できる場所にして、二階を出梁造りとしました。今でもその面影を残しており、庭先に馬つなぎ石が一基あります。当時は、二十四頭の馬と馬方を泊める事が出来ました。
金沢宿の中馬は、江戸や東海からの塩・茶・特産品などの移入、農産品・酒・炭などの移出の中継点として大いに賑わいました。金沢宿から佐久、上田方面や松本、伊那、高遠方面に物資が往来しました。
平成二十九年十一月吉日
金沢地区コミュニティ運営協議会
金沢の未来を考える研究会 」