紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

石碑 中山道・彦根道分岐道標

石碑 中山道彦根道分岐道標

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彦根観光協会ホームページより

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石碑 中山道彦根道分岐道標

中山道鳥居本宿の南端近く、中山道彦根道と交わる地点の南西隅に設けられている道標です。

 幅・奥行きとも25.5㎝、高さが124.5㎝の角柱状で、上端はやや丸く納めています。石材は花崗岩。細長い4側面の内、3面に文字が刻まれています。南面に行書体で「左 中山道 京 いせ」、東面に同じく行書体で「右 彦根道」、北面には楷書体で「文政十丁亥秋建之」とそれぞれ記しています。
 中山道など江戸時代の主要街道には、多くの道標が設けられました。これらの道標は、道そのものを標示したものと、名所旧跡を案内するタイプに分けられますが、本例は前者に分類されます。
 道標が設置されて4年後の天保2年(1831年)に描かれた「鳥居本宿絵図」にはこの道標の表記があり、中山道と分岐した道の先には「彦根道」と記されています。彦根道は中山道彦根城下をつなぐ道。江戸時代には切通道あるいは朝鮮人街道とも呼ばれましたが、江戸時代以前は佐和山の太鼓丸の堀切を経由して大手(鳥居本)側と彦根側をつなぐ城内の道であって一般の人々の往来はなく、また、山田町地先から中山道(当時の東山道)までの間に道もありませんでした。両者間に新道が造られ、彦根道として整備されるのは、彦根藩2代井伊直孝の時代のことです。
 この道標は、制作年代が明確でほぼ原位置を留めており、また設置して4年後に描かれた宿絵図にも描かれるなど、滋賀県を代表する道標の1例として貴重です。

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