紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

柏原宿の略史

柏原宿の略史
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案内板
「 柏原宿の略史
(史跡の時代順案内)
鎌倉時代
*柏原弥三郎の柏原城跡地に、佐々木京極氏が館・徳源院・墓所設置。

鎌倉の終り
京極高氏佐々木道誉)は鎌倉幕府の命を受け、後醍醐天皇側近
北畠具行卿を斬首。当地丸山に葬る。

室町の初め
京極高氏の命で、箕浦次郎右衛門、柏原代官所を設置。広大な屋敷を設け、菩提寺長命寺を再興。

室町時代
箕浦代官時代二百数十年。関ヶ原合戦時には、柏原宿は戸数五百の、大きな中世宿場に成熟。

戦国時代
*信長・秀吉は成菩提院に、家康は箕浦氏配下西村勘助屋敷に投宿。

江戸の初め(家康のとき)
*柏原代官所閉鎖。箕浦代官配下鉄砲組・元京極武士団が宿場役人を分担、江戸期柏原宿へ再構築。

江戸の初め(家光のとき)
* 将軍上洛時の休泊施設、柏原御茶屋御殿を、西村勘助屋敷に新設。

江戶中期(綱吉のとき)
松尾芭蕉柏原宿を通り、伊吹山の句を、大垣の句会で詠む。

江戸中期(吉宗のとき)
天領から、大和郡山柳沢藩領へ。

江戸後期
*亀屋佐京六代目七兵衛、柏原宿を「もぐさの里」と全国に売り出す。

江戶末期
*皇女和宮柏原宿本陣宿泊。

明治時代
*明治になり、もぐさ屋で宿場役人の山根為蔵家が柏原銀行を創業。 」