紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

中野村庄屋の家(本酒屋)

中野村庄屋の家(本酒屋)

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案内板
「 中野村庄屋の家(本酒屋)

中野村庄屋の家で、 屋号を本酒屋といいました。文久元年(1861)、皇女和宮が降嫁し、中山路を通って江戸へ 下ることになりました。その準備に中山道の各宿場はおおわらわでした。当時大湫宿の の助郷村であった野井村 が、和宮が通行するということで岩村藩代官より強制的に賄役(まかないやく)につかせられました。このことを 不満に感じた野井村百姓代熊崎新三郎は、 和宮の通行が終わったあと、中野村庄屋宅に滞在していた 岩村藩代官吉田泰蔵に斬りつけました。 これは後に事件となりましたが、代官による強制的な 賄役の負担が野井村の今後 の慣例となることをおそれた野井村は、岩村藩相手に裁判に訴えました。最終的には 野井村の勝訴となり代官は罷免され、野井村に金25両が下付されました。 」