紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

山中薬師

山中薬師
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案内板
「 山中薬師
浄土宗瑠璃山 医王寺

當山はもと天台宗名刹として栄えたが戦国時代に兵乱にあい法燈は一時中絶したが天文十三年(1544)正誉存徹が再興し浄土宗に転じたという。本尊は薬師如来 で名僧行基 の作と伝えられる。
 又奈良時代聖武天皇 の御代諸国に疫病が流行したので勅命をうけた行基が各地を巡り薬師如来を刻んで安置し病気の治療法を伝授したと伝えられ之医王寺もその一つであると云い三河の国の鳳来寺可児郡御嵩の蟹薬師(願興寺)と並んで三大薬師 の一つである。寺内には薬師如来のほか多くの仏像があり、さらに民間信仰の庚申等安置され往時の信仰の盛大さを物語っている。又医王寺は山中薬師とも呼ばれ古来より子供の虫封じの薬師として名高く人足が絶えない。境内には枝垂れ桜があり、(原木は樹齢三百年の大きなしだれ桜であったが昭和三十四年(1929)の伊勢湾台風で倒れたので今の木が二代目となる)毎年季節になると風雅な花を咲かせ街道を歩く人々の心をなごませたとされる。尚之木は木曽義仲 が京に上る途次手にした桜の枝を逆さに刺したものが根づいたと伝えられている。尚境内泉水のほとりに「梅が香にのっと日の出の山路かな」の芭蕉 の句碑があり、弟子を連れ馬の背にゆられて急峻な木曽路の山峡をどんな思いで旅を続けたのであろう。
落合宿 は中山道の一宿であるから大名や高貴な女性などの通行が多かった特に京都から江戸の将軍家に嫁入る場合等は東海道をさけて中山道を経由した 又善光寺詣りや御嶽講の連中などここから木曽路へ入る人々が旅の安全を祈願しに立ち寄った際には之山中薬師で家内安全 道中無事 無病息災を祈って旅立っていった。 」