紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

三留野宿脇本陣跡

三留野宿脇本陣
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案内板
三留野宿脇本陣

木曽十一宿には、本陣と脇本陣がそれぞれ一軒ずつ置かれていた。本選は江戸時代の初めに定められたが、脇本陣は交通が頻繁になった中期以降に設置されていった。
脇本陣はその名の通り凡人を補完するためのもので、三留野宿では代々宮川家が務めた。宮川家はまた三留野村の庄屋を務め、本陣西尾鮎沢家、問屋の勝野家などとともに指導的役割を担った。宮川家のあるこの周辺が、江戸時代の三留野の中心部であった。
なお三留野宿は明治十四年(一八八一)の大火によって全焼し、現在の建物はそれ以降のものである。

平成十二年十一月三日

南木曽町教育委員会