各務原市ホームページより
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中山道鵜沼宿の脇本陣は、宿駅制度が廃止された明治時代以降もその姿をとどめていましたが、明治24年(1891年)の濃尾震災で倒壊したと伝えられます。 当脇本陣は、江戸時代末期の鵜沼宿各家の間取りを描いた「鵜沼宿家並絵図」をもとに、現存する脇本陣の外観や内装、意匠などを参考としながら、鵜沼宿の脇本陣を務めた坂井家の建物の姿を現代に復元し、平成22年5月より公開しています。
脇本陣坂井家の由緒
脇本陣を務めた坂井家は、本陣であった桜井家の西隣に位置し、文化年間(1804年から1818年)頃の街道の様子を描いた「中山道分間延絵図」には、本陣に隣接する脇本陣の門と切妻屋根の家屋の外観を見ることができます。
また、本陣桜井家に残された江戸時代中後期の鵜沼宿の記録である「鵜沼宿万代記」には、宿の世話役や多くの大名や役人などの接待を度々務めた、当主坂井半之衛門の名を見ることができます。
坂井家は、幕末の安政年間(1854年から1860年)になると脇本陣を東町の野口家に引き渡し、以後は一般的な旅籠として営業しながら明治維新を迎えました。
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