案内板
「 押込一里塚
一里塚のある桃岡地区は、江戸時代に押込村に属していたため、押込一里塚と呼ばれた。
一里塚は京都から江戸までおよそ一里ごとに街道の両側に土を盛り上げて塚を築き、榎や松の木を植えて旅人の目安としたものであるというが、押込一里塚は鉄道と国道十九号線の敷設で面影をとどめてなく、片側の塚は現在畑になっている。
押込一里塚から北に向かうと、木曽十一宿北端の贄川宿に入る。宿場内の中町には本陣と脇本陣があったが、本陣の建物は現存していない。
江戸時代に贄川宿の北のはずれに、『女改め』と、木材の監視・統制をする『新良貴改め』の役割を担った贄川関所があった。昭和五十一年に当時の姿を忠実に復元した贄川関所が再建された。
説明文 楢川中学校三年生 北原眞悠 」