紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2度目の中山道六十九次歩き15日目の1(贄川宿2〜旧平沢村)

2度目の中山道15日目の1
3月25日(水)の1


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仕事が減ってしまったり、エトセトラ後から旅が増えましたが、1月から計画していた本命の青春18きっぷ旅は、今回の中山道歩き。

今日は木曽路贄川〜奈良井〜鳥居峠〜藪原〜宮ノ越、そして本当は木曽福島まで行きたかったのですが時間切れで、原野駅まで、41,504歩、約30キロ歩きました。


贄川関所を見下ろして】

前夜、日野(東京都)のホテルに泊まり、日野駅、朝4:43発の電車に乗って、高尾、大月、甲府塩尻で乗り換えて、8:30に贄川着。

新府駅付近では富士山が右に見えたり左に見えたり、それも、思っていたより大きく富士山が見えました。

新型コロナウィルス感染防止のため、しょっちゅう送風があり、寒いです。これで風邪ひいたら、余計新型コロナウィルスに感染しちゃうんじゃないかなあ。

贄川駅でトイレを済ませて、8:33に出発。
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8:37 贄川関所とトンネルを見下ろしました。
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12月に贄川関所に来たときには、閉館間近だったため、「また3月に来ます」と言いましたが、関所&木曽考古館の開館は9:00で、まだ開かない時間だし、もしかしたら今は新型コロナウィルスの影響で閉館中の可能性もあるので、残念ながらパス。
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8:38 メロディ橋
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贄川宿

8:40 贄川宿へ入ります。
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8:41 水場
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8:42 贄川本陣跡
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今回は「贄川本陣跡」の看板が出ていましたが、11年前には何もなく、どこか分からずに通りすぎてしまいました。

11年前のブログより

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2009.9.8.

贄川宿の街は、昭和5年の大火で多くの建物が焼失してしまいました。

公民館が本陣跡でしたが、看板も標示もありませんでした。

その中で、深沢家住宅は江戸時代末期に建てられたものが保存されていて、平成17年に国の重要文化財に指定されました。

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往時の本陣跡は焼失しましたが、ずっと本陣を務めていた千村家が今も贄川宿にお住まいなので、今の千村家の門前に「本陣跡」の札を出しているらしいです。

脇本陣も焼失しましたが、脇本陣を務めた贄川家も、今も贄川宿にお住まいのようです。


8:43 麻衣廻(あさぎぬの)神社
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案内板
「 麻衣廻(あさぎぬの)神社

天慶年間(九三八〜九四七)に創立。天正十年(一五八二)に戦火により焼失し、元禄年間(一五九二〜九六)に現在の地に再建したと伝える。祭神は建御名方命で、毎年春の祭りに加え、六年目ごとの寅年と申年に御柱祭を行う。


観音寺

高野山金剛峯寺を本山とする真言宗の寺院で、本尊は十一面観音。山門は寛政四年(一七九二)に再建された楼門で、楢川村有形文化財に指定(昭和六十年) 」


8:43 津島神社
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8:45 まるはち漆器
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8:46 水場 津島神社秋葉神社
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8:46 国重要文化財深沢家住宅
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案内板
「 国重要文化財 深澤家住宅三棟

所在地 長野県塩尻市大字贄川
一六二二番地
所有者 深沢辰夫(千葉県流山市)

主屋 桁行10.6メートル 梁間17.3メートル
二階建、切妻造、
東面便所及び廊下附属、鉄板葺
北蔵 土蔵造、桁行3.3メートル、
梁間9.1メートル、
二階建、切妻造、鉄板葺
南蔵 土蔵造、桁行3.4メートル、
梁間8.4メートル、
二階建、切妻造、鉄板葺
附・家相関連資料 五点(家相図 四枚、 地理家相建物之断書 一冊)

宅地 564.47平方メートル 一六二二番地
右地域内の石垣を含む


深澤家は、屋号を加納屋と称し、行商を中心とする商家を営み、文化年間には、京、大阪などにも販路を伸ばし、幕末には、名字を許されるなど贄川屈指の商人となった。中山道に西面した短冊形の敷地に中山道に面して主屋が建ち、その背後に中庭をはさんで北蔵と南蔵が並ぶ。主屋は嘉永五年(一八五一)の大火後の再建で、同七年に竣工したと伝え、北蔵は文政四年(一八二一)、南蔵は文久二年(一八六二)に建築されたものである。
深澤家住宅は、各建物の建築年代がほぼ明らかで、保存状態もよく、江戸時代末期の木曽地方における宿駅の町家の姿を忠実に留め、主屋の規模の大きさ、独特な正面外観、整然とした架構、洗練された細部によって重厚で落ち着いた室内を構成し、木曽地方の町家建築の到達点を示す建物で価値が高い。

塩尻市教育委員会

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8:48 右折
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8:49 左折
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8:50 跨線橋で線路を渡る
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贄川のトチ】

8:52 中山道 贄川のトチ
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案内板
「 長野県天然記念物
贄川のトチ
昭和四十四年七月三日指定

トチは、トチノキ科・トチノキ属でヨーロッパ・北米・東南アジア等に約二十四首が知られているが、日本ではただ一種の落葉高木である。
北海道から九州北部まで広く分布し、山野に自生する。特に東北地方に多いが、本県においても古来夏緑広葉樹の代表樹である。また実は、あくぬきをして『トチモチ』を作ることでも知られる。

この樹は、樹令約千年と推定され根もとの周囲が十メートル以上あり、コブの上(約一メートル上)では、八・六メートルの巨木であり、県内に現存するトチの木として最大でのものである。
また、コブの上約三メートルから太枝が分かれ、さらに五本に分岐して茂り、枝張りも、樹姿、樹幹の美しさにおいても県下第一のものであろう。
地元では、樹木の下にまつられる小祠(ほこら)(ウエンジン様)にちなみ、『ウエンジンサマのトチの木』と呼び昔から大切にしているものである。

長野県教育委員会


天然記念物に指定されている中信地方の樹 (昭和62年3月現在)

県天然記念物

大塩のイヌサクラ...北安曇郡美麻村
(S.37.7.12 指定)
梓川のモミ.........南安曇郡梓川村
(S.37.9.27 指定)
乳房イチョウ.......南筑摩郡生坂村
(S.40.4.30 指定)
石原白山社のスギ...北安曇郡小谷村
(S.40.4.30 指定)
千手のイチョウ.....松本市山辺
(S.40.7.29 指定)
妻籠キンモクセイ..木曽郡南木曽町
(S.43.3.21 指定)
大野田のフジキ......南安曇郡安曇村
(S.43.5.16 指定)
贄川のトチ..........木曽郡楢川村
(S.44.7.3 指定)

(指定年月日順) 」


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このトチを間近に見るために設置された鑑賞台(物干し台か、別荘のベランダみたいな木の柵のようなもの)が壊れていて載ることが出来ず、足元に気をつけて木の根本から見上げました。

勇壮な巨大なトチの木。中山道を行き交う旅人をずっと見下ろしてきたのでしょう。


9:07 石仏石塔群(桜宮跡)
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道路の右側を歩いていたら、左の脇道に入れず、旧道の出口でやっと合流出来ました。

脇道を少しだけ戻ると、一里塚跡があります。


【押込一里塚跡】

9:18 押込一里塚跡
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案内板
「 押込一里塚

一里塚のある桃岡地区は、江戸時代に押込村に属していたため、押込一里塚と呼ばれた。
一里塚は京都から江戸までおよそ一里ごとに街道の両側に土を盛り上げて塚を築き、榎や松の木を植えて旅人の目安としたものであるというが、押込一里塚は鉄道と国道十九号線の敷設で面影をとどめてなく、片側の塚は現在畑になっている。
押込一里塚から北に向かうと、木曽十一宿北端の贄川宿に入る。宿場内の中町には本陣と脇本陣があったが、本陣の建物は現存していない。
江戸時代に贄川宿の北のはずれに、『女改め』と、木材の監視・統制をする『新良貴改め』の役割を担った贄川関所があった。昭和五十一年に当時の姿を忠実に復元した贄川関所が再建された。

平成二十七年三月 NPO法人木曽ユネスコ協会

説明文 楢川中学校三年生 北原眞悠 」


9:19 国道に合流
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奈良井川の橋を渡ります。
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9:25 左斜めへ
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こんな道を歩きました。
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9:32 長瀬集会所 長瀬バス停
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9:35 国道と合流
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9:41 セブンイレブン塩尻木曽平沢
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トイレをお借りして、R-1ヨーグルトを買って飲みました。

9:48 右、県道へ
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【木曾平沢】

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案内板
「国選定重要伝統的建造物群保存地区 長野県塩尻市木曾平沢

全国有数の漆器産地である木曽平沢は、北流する奈良井川が大きく湾曲した河川敷に発達した集落です。慶長3年(1598)、奈良井川の左岸にあった道が右岸に付け替えられ、この道沿いに居住することにより成立したと考えられています。この道は、慶長7年(1602)、徳川幕府により『中山道』の一部として整備されます。

木曽平沢は、木曽11宿の一つである奈良井宿の枝郷でした。近世前期に「木曽物」で知られた木曽の漆器は、ほとんどが奈良井宿で生産されていましたが、近世後期になると『平沢塗物』の名で流通するほどに発展します。明治以降も技術革新によって成長し続けました。木曽平沢は現在でも日本有数の漆器生産地として、その地位を維持し続けています。保存地区は、東西約200m、南北約850mの範囲です。

南北に本通り(中山道)と金西町の街路が縦断し、この2本の街路に面して、奥行き深い短冊状の敷地が並びます。

木曽平沢では寛延2年(1749)に大火があり、復興にあたり防火対策として行われた町割りが、現在の町割りの基盤になっているとされています。主屋は街路との間に若干の空き地を取って配されます。中庭を介して漆塗りの作業場であるヌリグラが置かれ、その奥に離れや物置が続きます。主屋を敷地間口いっぱいに建てず、隣家との間に余地を残して塗り蔵への通路とするのも木曽平沢の町の特徴です。伝統的な形式の主屋は中二階あるいは二階建て切り妻平入りで、かつては板葺き石置き屋根でした。間口は三間を標準的規模とし、通り土間にそって、表からミセ、オカッテ、ザシキを並べる基本平面を取ります。塗り蔵は二階建て置き屋根の土蔵造りで、湿度と温度を保ちやすく、通常の土蔵よりも開口部を大きく取るなど漆器の作業に適した造りとなっています。このような作業蔵は漆器生産で生計を立ててきた木曽平沢を特徴付ける建物と言えます。

塩尻市木曽平沢伝統的建造物地区は、近世後期の地割をよく残すとともに、近世以来の伝統的な町家や塗蔵などが一体となって、漆器生産の町としての特色ある歴史的風致を良く伝えています。このことが評価され、平成18年7月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。」

10:05 諏訪神社
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右の道に入ったのですが、どうも違うみたいです。
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中山道ではないみたいですが、方向は大丈夫そうなので、この道をこのまま進みます。
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10:13 旧平沢村
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古い面影を遺す素敵な町並み。ほとんどが漆器店です。
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10:21 津島神社
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10:25 漆器店の先から、右斜め下り坂へ
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10:26 JRのガード下を潜りました。
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【土手の道】

10:27 土手の道
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10:31 対岸に、橋戸の一里塚跡
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10:34 楢川小学校の裏側
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11年前に来たときには、遠くから楢川小学校が見えて、正面側から見ることが出来たのに、今回はたどる道が違うみたいです。

私が間違えたのか、ガイド本が変わると、大筋は同じ道でも、少しずつ違う道が紹介されているのか、どうなのかなあ。

奈良井川橋が見えてきました。
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10:38 自然石の道標
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10:38 奈良井川橋を渡ります。
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2度目の中山道15日目の2(奈良井宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/07/15/174518


二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003