紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

木曾平沢

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案内板
「国選定重要伝統的建造物群保存地区 長野県塩尻市木曾平沢

全国有数の漆器産地である木曽平沢は、北流する奈良井川が大きく湾曲した河川敷に発達した集落です。慶長3年(1598)、奈良井川の左岸にあった道が右岸に付け替えられ、この道沿いに居住することにより成立したと考えられています。この道は、慶長7年(1602)、徳川幕府により『中山道』の一部として整備されます。

木曽平沢は、木曽11宿の一つである奈良井宿の枝郷でした。近世前期に「木曽物」で知られた木曽の漆器は、ほとんどが奈良井宿で生産されていましたが、近世後期になると『平沢塗物』の名で流通するほどに発展します。明治以降も技術革新によって成長し続けました。木曽平沢は現在でも日本有数の漆器生産地として、その地位を維持し続けています。保存地区は、東西約200m、南北約850mの範囲です。

南北に本通り(中山道)と金西町の街路が縦断し、この2本の街路に面して、奥行き深い短冊状の敷地が並びます。

木曽平沢では寛延2年(1749)に大火があり、復興にあたり防火対策として行われた町割りが、現在の町割りの基盤になっているとされています。主屋は街路との間に若干の空き地を取って配されます。中庭を介して漆塗りの作業場であるヌリグラが置かれ、その奥に離れや物置が続きます。主屋を敷地間口いっぱいに建てず、隣家との間に余地を残して塗り蔵への通路とするのも木曽平沢の町の特徴です。伝統的な形式の主屋は中二階あるいは二階建て切り妻平入りで、かつては板葺き石置き屋根でした。間口は三間を標準的規模とし、通り土間にそって、表からミセ、オカッテ、ザシキを並べる基本平面を取ります。塗り蔵は二階建て置き屋根の土蔵造りで、湿度と温度を保ちやすく、通常の土蔵よりも開口部を大きく取るなど漆器の作業に適した造りとなっています。このような作業蔵は漆器生産で生計を立ててきた木曽平沢を特徴付ける建物と言えます。

塩尻市木曽平沢伝統的建造物地区は、近世後期の地割をよく残すとともに、近世以来の伝統的な町家や塗蔵などが一体となって、漆器生産の町としての特色ある歴史的風致を良く伝えています。このことが評価され、平成18年7月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。」