2度目の東海道14日目の2
5月22日(水)の2
【ヤマサンの素敵な建物】
10:50 豊川稲荷遙拝所
10:52 親鸞聖人御旧跡
10:58 ヤマサン
素敵な昔ながらの建物なので気になって調べたら、老舗のお米や大豆を扱う店なんですね。
豊橋市の株式会社ヤマサン
会社HPより
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1703年創業 お客様のおかげにより
310余年もの道のりを歩んできました。
私たちはここまで育んできた技術(ノウハウ)、社会に貢献する気持ち、そして、皆様の支えを胸に、
次の時代に向かって進んで参ります。
より安全で、より美味しい食材を皆様に提供することが私達の使命であり心からの願いであります。
■江戸元禄時代から事業が始まりました。
■当時は主に大豆・菜種の搾油業をしていました。
■今では、お米、大豆、油、飼料など農産物を中心に取り扱っています。
■飲食店「まいどおおきに食堂」を4店舗経営しています。
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【瓜郷遺跡】
11:09 瓜郷遺跡入口看板
今回は遺跡は見に行かずパス。10年前は見に行きました。10年前のブログ、に掲載の写真は、10年前に撮った写真です。
10年前のブログ
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旧東海道からは120メートル離れますが、右奥に瓜郷遺跡がありました。
弥生式竪穴式住居が復元されていました。
公園の隅に、高床式倉庫のミニチュアのようなものがあると思ったら、その中に瓜郷遺跡の説明書が入っていました。
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【怖い橋(10年前も今も)】
11:18 豊橋市魚市場
このわりとすぐに先で豊川市に入ります。
11:23 高橋
歩道がなくて怖い橋。10年前もやはり怖い思いをしました。
10年前のブログ
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その先、鹿菅橋を渡り、さらに進むと道が上っていき、橋に至るのですが、上り始めるところから歩道がなくなり、その坂と豊川放水路にかかる高橋を渡るのがとても怖かった。
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渡りきってホッとして眺めるニチレイ
【子だが橋とチガヤ】
10年前のブログ
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高橋を渡る手前に小坂井(こざかい)町の境がありました。
その先右に、「子だが橋」跡の碑と説明がありました。
人身御供の慣わしがあった頃、人身御供に奉仕していた世話役が人身御供に決まった女性が我が娘であったのを見て戸惑うけれど、慣わしには逆らえず、「子だが仕方ない」と言ったことからついた名だそうです。
現在の菟足(うたり)神社の祭りでは、十二羽の雀を生け贄として、執り行われているそうです。
国道151号線を渡った先の右側に菟足神社がありますが、大きな神社でした。神社やその辺り一帯が貝塚だったそうで、貝はほとんどアサリかシジミだったそうです。
菟足神社は、仕掛け花火発祥の地だそうで、4月の風まつりには、手筒花火、打ち上げ花火(二尺玉)、建物花火(仕掛け花火)などをやりますが、手筒花火が日本一なんだそうです。
また、菟足神社の宝物館には、国の重要文化財の大般若経585巻が保存されています。
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白い穂がきれいで写真を撮りました。
調べたら、チガヤの穂だそうです。
【小坂井駅付近】
11:39 小坂井の踏切
11:41 秋葉神社
ここは突き当たって左に避けるように道が進んでいるため、10年前もこれを見た、という記憶が残っていました。
11:48 明光寺
山門前に秋葉常夜燈や牛頭天王があります。
【伊奈村立場茶屋跡とランチ】
11:56 伊奈村立場茶屋
案内板
「 伊奈村立場茶屋 加藤家跡
(俗称 茶屋本陣跡)
一 茶屋の地名
東海道吉田宿と御油宿の中間に当たり、立場茶屋が設けられたので、茶屋の地名ができた。
二 加藤家と良香散
茶屋のうち格式の高い加藤家(初代は大林平右衛門)では、『良香散(りょうこうさん)』という腹薬が売られ、この薬は茶屋の地名よりも有名だった。交通の変遷により、今はこの古井戸(南西30M)一つ残すのみとなった。
三 明治天皇御旧跡
東京遷都の時、明治天皇は、この加藤家でご休憩になられた。その時使用された箸が、牧野真一氏宅に保存されている。
四 俳人鵜巣(うそう)
鵜巢は加藤家の生まれで謙斎といい、芭蕉と親交があり、京都で医者をつとめていた。
五 芭蕉句碑
『かくさぬぞ 宿は菜汁に 唐が羅し』
六 鵜巣句碑
『ももの花 さかひしならぬ かきね
哉』
11:57 迦具土神社
12:02 カフェアルムにてランチ
鶏の唐揚げランチ 700円
安い! 美味しかった! 珈琲付き。
【伊奈一里塚跡】
12:31 山本和太鼓店
慶応四年創業だそうです。
12:31 伊奈一里塚跡
日本橋から75里目。
12:34 速須佐之男神社
境内に石灯籠が並んでいます。
【冷泉為村歌碑と謎の鶏】
12:45 若宮白鳥神社遙拝所
遙拝所は、普通は大きな神社が遠くてなかなか行けない場所に、ここから拝めば参拝したことになる、という場所を設けたものですが、ここの若宮白鳥神社はすぐ近くにあります。
そして、その遙拝所の横の、さらに奥に、次の冷泉為村の歌碑があります。
12:45 冷泉為村の歌碑
為村一行が朝廷の使いとして江戸に下る途中、当時、桜の名所であったという桜村で詠んだとされます。
散り残る 花もやあると さくら村
青葉の木かげ 立ちぞやすらふ
12:48 謎の鶏
道に綺麗な鶏がいる!
よく見ると、庭のようなところ(一般のお宅ではありません)にたくさんいました。
伊勢神宮にいたような、綺麗な鶏。
この辺りって、地鶏の産地とか、近くに養鶏場があるのかと調べてみましたが、わかりませんでした。
【東海道分断 10年前より遠回り】
旧東海道は三河環状線という道路に遮られ、迂回しなくてはなりません。(13:07)
10年前は右側に遠回りしましたが、今回は左側へ。前より遠い上に、一部歩道がない怖い道を歩きました。
何とかしてほしい。
10年前のブログ
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川を二つ渡り、その先、モノレール?と思う、高い位置の橋のようなもので東海道は分断され、右側の少し離れた国道まで迂回して歩行者用信号を渡って、また旧東海道に戻ります。
モノレール?と思った橋のようなものは道路(国道を越える立体交差道)を建設中のようでした。
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11分左側に歩き、信号で右側へわたり、13:18 写真のファミマで休憩。水を買いました。
このファミマで折り返して、迂回したスタート地点の三河環状線の反対側へ戻りました。
戻るときは、歩道があって助かりました。
【迂回路折り返し】
先ほどのファミマから折り返してくると、写真のような歩道の階段が見えます。 よかった!
13:31 米津東部と看板が出ているビルが迂回路の終点。
左に曲がり、
13:35 やっと旧東海道に合流しました。
13:38 白鳥5丁目西交差点で国道1号線にぶつかり、信号を渡って反対側の道に入ります。
【農道を辿ると、まるで『ヨコハマ買い出し紀行』】
この先は、昔の東海道は失われ、田んぼの間の道を進みます。
今回のガイド本(「ちゃんと歩ける東海道五十三次」)には、失われた道を破線で示し、そこは今は道がないので、ここを歩きましょう、という道が示されていますが、10年前は破線のまま、どうぞご自由にお歩きください、でした。
その方がロマンはありますが、とんでもない方向に外れたらどうしよう、と常に不安でした。
10年前のブログ
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暫く進むと、さっき右を走っていた国道にぶつかります。信号待ちして国道を渡り、地図では斜め左に道が進んでいるのですが、斜めの道は存在しないので、畑の中の農道をとりあえずまっすぐ進み、ひとつめを左に折れてみました。
その先で、国道から右へ折れてくる車の流れから道の関係を推測すると、今の私の道の選び方は合っていたようです。
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絵手紙は、10年前のブログ用に描いたもの。
田んぼの中の道は、まるで「ヨコハマ買い出し紀行」みたいで素敵です。
【踏切と赤い名電】
10年前のブログ
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冬枯れた畑のずっと向こうを名電(名鉄豊川線)が走っていたのに、いつの間にか線路が近づいてきて、踏切を渡りました。
踏切を渡ってすぐに左に折れるのですが、ガイド本の地図の旧東海道を示す赤線がその先、破線になってしまいます。昔の道は失われ、農道を適宜辿るしかないのだそうで…
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10年前も、不安半分、でも、楽しんでますね。
「ヨコハマ買い出し紀行」には、赤い名電は出てきません。
二回踏切を渡り、白鳥地下道で国道1号線を潜って、国道の左側の歩道に出ます。
【箒のおじさんと、国府の秋葉常夜燈】
先ほどの農道は、案外どんどん進んだのですが、国道に入ると、どのぐらい進んだのか、もしや行きすぎたのではないかと不安になります。
そんな時、箒で掃除をしていたおじさんが、「何か探してますか?」
と、声をかけてくれました。
「国府交番を探しています。」
国府交番はもう少し先でした。
旧東海道は、国府交番の角で斜めに左に入り、国道から分かれます。
多分そのおじさんに声をかけられなくても、分かったとは思うのですが、不安なとき、教えてもらうと嬉しいですね。
14:11 国府交番から斜め左に入る。
14:15 秋葉山常夜燈
案内板
「 秋葉山常夜燈
形式は御中堅で高さ二〇五糎(センチ)
造上寛政十二庚申(一八〇〇)村中安全
秋葉山
秋葉三尺坊大権現はその昔し越後国蔵山白狐に乗って遠州の秋葉山に飛来したいといわれ、火防の霊現あらたかと信ぜられ、
江戸時代、朝庭、大名、庶民に至るまで奥深い信仰をあつめられ、国府村民等も村内を火難より守るため、秋葉山常夜燈を造りました。
平成十八年 役員一同 」
絵手紙は10年前のブログ用に描いたものです。
【薬師堂とひとつの台座に二尊】
トイレに行きたいなあ、と思っていたら、14:17 薬師堂がありました。
あっ、ここは、10年前にトイレをお借りしたところだ!
10年前のブログ
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薬師堂は小さな境内で、一見トイレなどなさそうでしたが、右後ろに公会堂があったので、ひょっとしてトイレを借りられるかも、と奥まで行ってみると、公会堂の左前、薬師堂の裏に狭くて分かりにくいけれどトイレがあったので、ありがたく使わせていただきました。
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10年後の今日も、同じトイレをお借りしました。
薬師堂の絵手紙は10年前のブログ用に描いたもの。
よくよくお参りしてから出発。
14:23 ひとつの台座に石仏が二尊載っています。
【大社神社】
14:28 大社(おおやしろ)神社
10年前のブログ
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大社神社(絵手紙)という石垣が立派な神社があり、ちょうど保育園のお散歩の一団と出会いました。泣いてしまった子を保育士さんがだっこして、神社の境内に連れていっていました。
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この写真も大社神社です。
2度目の東海道14日目の3(御油宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2019/12/26/170238