紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2度目の東海道五十三次歩き19日目の2(坂下宿から鈴鹿峠へ)

2度目の東海道19日目の2

6月26日(水)の2


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【坂下宿思い出の公園】

7:58 坂下宿の公園
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10年前のブログ

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坂下宿では、公園の遊具で遊びました。グローブジャングルジム、ブランコ、ボート型の前後に振幅する乗り物など、楽しい公園でした。
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しかし、坂下宿ではとうとうトイレに出会えませんでした。

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遊具は今と10年前は変わっていますね。今はグローブジャングルジムとボート型遊具はなくなって、四角いジャングルジムと、スワンの船型遊具、ウサギとトラの遊具になってました。

この公園のベンチに座って、持参のパンで朝御飯。

記憶の公園は猫の額みたいな小さなイメージでしたが、かなり広いです。春には桜がきれいだろうなあ。
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【松竹梅三本陣】

松屋本陣跡のすぐ裏が、さっきのあの公園です。
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大竹屋本陣跡、梅屋本陣跡。
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松竹梅ってわけですね。

何故、竹だけ大竹なのかと思ったら、少し先に小竹脇本陣跡があったので、そことの兼ね合いでしょうか。

小さな村のイメージなのに、3つも本陣があるのは、鈴鹿峠越えを控えているからですね。

小竹脇本陣跡。
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【身代わり地蔵と綺麗なトンボ】

身代わり地蔵。
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大名行列の前を横切ったこどもの身代わりになったお地蔵さま、と伝えられています。

胴体が青くて細く、羽が茶色いトンボがいました。
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調べたら、多分、ミヤマカワイトトンボだと思います。


【山道が半減?】

坂下宿を過ぎると、写真のような、歩道がやたら広い、国道1号線脇の坂を上っていきます。
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こんな道、あったかな?娘たちとおしゃべりしながら歩いていたから、国道歩きは気にならなかったのかな?

そうこうするうちに、写真の坂を上り、片山神社の参道へ。
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なんだか違和感。

10年前は、いきなり凄い山道で、まさかここが東海道じゃないでしょうね、あっ、この山道だ!と驚き、国道を見下ろしながらの、時々足元が危うい、凄い道を歩いた記憶があり、さらに、片山神社は山道の後半、むしろ終盤のイメージだったのに、今回はずっと国道を歩いてきて、やっと山道に入るのが片山神社。

10年たつと、ここまで記憶のすり換えがあるのかしら。

でも、気になるのが、ガイド本の、坂下宿外れから片山神社までの山側の破線の道。

もしかしたら、10年前はこの破線の道を歩いたんじゃなかろうか。

後日、長女と話したら、山道の前半がかなり危ない道だった、と言う証言。今回は危ない山道はいっさいなく、すべて遊歩道的な歩きやすい道でした。

前半の山道は崩壊などで危険になって通行禁止になり、国道に歩きやすい歩道を作ったのではないかしら。


10年前のブログ

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坂下宿過ぎるといきなりの急な登りの山道に、まさか、ここを上るんじゃないでしょうね、と驚きましたが、実際上ってみると、雪がもしあったら無理だったとは思いましたが、そして、女ひとり旅もやめた方がいいと思いましたが、箱根に比べると、えっ、もうおしまい?と思うぐらい、わりと楽でした。
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山道入り口が10:21。

片山神社という大きな神社に期待していたのですが、トイレはありませんでした。

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10年前は、山道入り口から片山神社入り口まで30分かかっているので、やはり山側の破線の道を歩いたと思われます。

危うい山道の醍醐味がなくなったのは残念だけれど、女性一人旅には朗報です。


【片山神社と鈴鹿薙刀発祥の地】

片山神社下に着きました。10年前は、トイレがあるかもしれないと思い、階段を上って本殿まで行きましたが、トイレはありませんでした。

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鳥居前を右斜め後ろに曲がると、鈴鹿薙刀発祥の地の碑。
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鈴鹿薙刀とは何ぞや、も知らないのに、娘たちは凄いね!と、やたら感動していました。

そして、その碑の前を通って写真の急坂を上っていくのが旧東海道なのですが、
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他の方のブログを見ていると、ここで間違えて鳥居の左側に行ってしまう人がいるみたいなので、お気をつけください。


鈴鹿峠への上り道】

写真のような山道を上っていきます。
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特にこの写真の坂は印象的な景色で、10年前にもここを上った、と、よく覚えていました。
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芭蕉句碑と馬の水飲み場

この写真の階段を上って右に曲がると
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芭蕉句碑がある、と、階段下から覚えていました。

芭蕉句碑
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「ほっしんの 初にこゆる鈴鹿芭蕉

写真の階段を上ると、
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左側に、馬の水飲み場
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たぶん、峠は近い。
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【あっという間に鈴鹿峠

上の写真の坂を上りながら、たぶん、もうこの先が峠だった、と思っていたら、まさにその通り、少し広くて十字路的な場所に着きました。
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ここが鈴鹿峠。8:55着。
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東の箱根、西の鈴鹿というけれど、箱根の大変さに比べたら、鈴鹿は小学校一年の遠足みたいなもの。

昔はもっと深い山で山賊も出て大変だったろうし、今と10年前でさえ、さらに楽になってしまったわけです。

山道としては、宇津谷峠が山道らしかったかな。でも、宇津谷峠も10年前より歩きやすくなっていた。

山道を抜けるのが長いのが箱根と小夜の中山。

短いけれど山道が急なのが 薩埵峠。

箱根西坂の傾斜はすごかったな。

小夜の中山から日坂に下りる道も急だったな。


【10年前の氷と境界石】

10年前に鈴鹿峠に来たのは1月26日だったので、 峠のちょっと先に大きな水溜まりがあり、氷が張っていて、厚さが1センチぐらいありました。10年前の長女。
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そこから2~3分で境界石。左 伊賀の国 右 近江の国 と書いてありました。
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2度目の東海道19日目の3(鈴鹿峠から土山宿への道)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/01/31/221424