紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2度目の東海道五十三次歩き19日目の1(関宿から坂下宿へ)

2度目の東海道19日目の1

6月26日(水)の1


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【第一目標物までの早朝散歩】

本日は江戸時代にタイムスリップしたみたいな関宿から、坂下宿、鈴鹿峠を越えて、土山宿、水口宿まで歩きました。

夕べ、横浜23:25発、三重交通の夜行バスに乗り、今朝5:30に関町バスターミナルに着きました。

バスターミナルのトイレ探しに時間がかかってしまいました。昼間なら売店の方にもトイレがあるのですが、夜間トイレは裏の方にしかなくて。

明るくて広いトイレ一人占めで、着替えて、歯を磨いて、日焼け止めを兼ねてメイクして。

関町バスターミナル。
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東海道の宿場町であることを意識した建物でした。

5:52に出発。

Google地図を頼りに、旧東海道を目指します。

もしGoogle地図がなかったら、分かりやすくまっすぐ北上してとにかく東海道にぶつかるところを探していたと思いますが、Google地図のおかげで、北西に針路をとって、最短距離を行けたし、知らない裏道は、行き止まりにならないか、人の家のお庭に入ってしまわないか、という不安なく、面白い裏道探検が出来ます。

犬の散歩の方と出会っておはようございます、と挨拶したり、気持ちのいい朝です。

熱帯低気圧が近づいている影響で、今日はあまり天気がよくない予報でしたが、思ったよりも朝日が気持ちいい。

第一村人ならぬ、第一東海道目標物と出会ったのは、

6:19 関宿問屋場
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前回、6月14日に関宿に来たときに入った、川北本陣跡裏のトイレへ今日も行きました。

この後、当分トイレはないことを知っているので。

まだ6時台なので、人はほとんどいません。

街には朝日が当っていますが、行く手の山は雲で霞んでいます。
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【江戸時代の町にも燕】

つばめがいっぱい飛んでいました。
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志ら玉前田製菓のお店の二階。
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6:30頃、自転車登校の中学生とおはようございますの挨拶。

今日は結構、町の人と挨拶しました。


【西の追分と、10年前は三人旅】

6:39 西の追分け
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写真の髭題目の下の方が道標になっていて、「ひたりハいかやまとみち」と書いてあります。
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さて、10年前の東海道五十三次歩きは、ほとんど一人旅でしたが、箱根越えと府中〜丸子は長女と二人旅、鈴鹿越えは長女と次女と、三人旅でした。

10年前のブログ

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2009.01.26.


東海道五十三次ウォーキング女ひとり旅にとって、問題はトイレと峠越えの危険度。

箱根越えは長女と越え、ひとりだった宇津ノ谷峠では怖い思いをし、楽しく歩いた小夜の中山は後からあそこは怖いんだよと教えられた私は、鈴鹿越えが怖くて、なんとか一緒に行ってほしいと、「箱根越えでもう懲り懲り」と言っていた長女にラブコールを送り続け、とうとう今日、長女、次女、私と女三人で鈴鹿峠越えをしてきました。

東海道五十三次歩きの順番から言うと、私は愛知県の岡崎宿(38番目の宿場)まで歩いて、その続きから歩くと分かりやすかったのですが、娘たちとのスケジュール調整の結果、ワープして、三重県の関宿(47番目の宿場)から歩き始めました。

前夜、関の国民宿舎関ロッジに泊まりましたが、前夜の内に、鈴鹿峠には現在雪はないけれど、とにかく寒い、という情報を仕入れてホッと安心。雪がとても心配だったので。

昨日仕事だったため、関ロッジに遅く夜着いた私は食べることが出来ませんでしたが、一足先に宿入りした娘たちは猪鍋に舌鼓を打ったそうです。

朝食7時半。出発8時半。

防寒対策を考えた服装で出発しました。

関ロッジから、鈴鹿峠方面の国道への近道もあったのですが、娘たちに関宿の町並みを見てもらいたくて、町に下りる道から行きました。下りなので、5分で町に出ました。娘たちも、関宿の町並みに「わあ、すごい」と言っていました。
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5分で西の追分け。

ここからは、暫く国道を歩きます。国道歩きも連れがいると楽しい。

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季節が違って、10年前は寒さと雪が心配でした。

今日は、雨と暑さが心配です。


【転び石と山灯籠】

暫く国道1号線を歩きます。

6:48 転び石
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説明板
「転び石は『東海道名所図絵』などにも描かれている。直径二mのこの大きな石は、『弁慶ころがし』とも言われ、言い伝えによると付近の山から転がり落ちてきともので、夜な夜な山に帰りたいとうなり声を出して付近の人々をおそれさせたが、とおりかかった弘法大師がこの大きな石を供養したところ、石は静かになったと伝えられている。」

国道には、写真のような、動物注意!の道路標識も出ています。
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12分で国道から右へ分かれる道。霜がすごくて、みんなそれぞれ携帯で写真を撮っていましたが、霜の降りた感じはうまく写せませんでした。

5分ほど行くと常夜灯がありました。

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その常夜燈がこちらの写真。
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山灯籠とガイド本には書いてあります。

自然石を積んで作ったら灯籠を、野面(のづら)灯籠とか、山灯籠というそうです。

6:57 西願寺
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浄土真宗のお寺で、門前の常夜燈には、「報恩謝徳」と刻まれています。

7:22 杉並木
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【こんなところに天文台

7:41 天文台
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何故、こんなところに天文台が?この辺りは星はきれいだろうなあ。

亀山市HPより

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天文台童夢(どーむ)」の施設案内


天文台童夢」は、2002年(平成14年)から天体観測を主体として地域活動を展開してきた「坂下星見の会」の実績を受けて、亀山市によって2010年3月に設置されました。
星がきれいにみえるという坂下地域の特性をいかして、数多くの方々に天文に興味をもっていただくとともに、地域の交流の場となるコミュニティ天文台として運営を行っている三重県下でも貴重な存在です。

口径400ミリメートル反射望遠鏡と口径115ミリメートル屈折望遠鏡各1台を備え、天文台スタッフが操作、解説を行います。大宇宙の神秘をぜひ体感ください。

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2010年設置ということは、私たちが前回ここを通った2009年にはまだなかったわけですね。


鈴鹿馬子唄会館】

7:41 鈴鹿馬子唄会館
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ここにも思い出があります。

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沓掛の町並みに入った頃から、次女と私はトイレに行きたくなったのですが、今日はなかなかトイレに出会えなくて大変でした。でも、防寒対策でズボンの下にスパッツをはいていたおかげで尻回りが暖かいため、長時間我慢出来ました。

女性の東海道ウォーカーの皆様には、冬場はズボンの下のスパッツをお勧めします。

9:46に鈴鹿馬子唄会館に着きましたが、月曜なので休館日。残念ながらトイレを借りることができませんでした。

鈴鹿馬子唄会館の周囲には、日本橋から、品川、川崎、神奈川、保土ヶ谷…と東海道五十三次の宿場の名前が柱に書かれていて(絵手紙2)、これらをずっと歩いてきた私ももちろん感慨深く、なんだかはしゃいでしまいましたが、娘たちも盛り上がっていました。京都三条大橋まで、55本の柱が立っていました。
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【旧坂下尋常高等小学校】


鈴鹿馬子唄会館の向かい側には、旧坂下尋常高等小学校を「鈴鹿然の家」として宿泊やキャンプファイアーなどに貸し出している建物がありました。
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亀山市HPより

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鈴鹿峠然の家(旧坂下尋常高等小学校)

木造平屋建,片廊下4教室規模の校舎2棟を並び建て,左右を片流れ屋根の廊下でつないだロの字型プランを採るのが特徴。正面中央に妻をハーフティンバー風にみせた車寄をつける。廃校後に宿泊研修施設として活用されている。

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10年前、鈴鹿馬子唄会館の真ん前に自然の家があったことを全く覚えていません。

トイレに行きたくて自然の家には気も止めなかったのか。

たぶん当時は廃校とは知らず、普通の小学校だと思ったのではないかな。だとすれば、朝の9:30頃だから、児童たちが教室にいる時間で、静かにしなくちゃ、と思って通りすぎたのかもしれません。
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2度目の東海道19日目の2(坂下宿から鈴鹿峠)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/01/31/083726