二度目の中山道26日目の2
2020年11月11日(水)の2
【小摺針峠への道】
8:49 小摺針峠へ向かう道
小摺針峠は、米原市と彦根市の境。高速道路のとんねるの真上で、ちょうどその辺りで工事をしていたこともあって、どこが峠か確認しないうちに通りすぎてしまいました。
こちらは、2016年に撮った、小摺針峠付近の写真です。
【泰平水・地蔵堂】
9:01 泰平水・地蔵堂
何の説明もないのですが、昔はきっとこの水が旅人の喉を潤し、旅人は旅の安全をこのお地蔵様に願ったことでしょう。
9:07 中山道道標と摺針峠石標
道標
「摺針峠 彦根/中山 鳥居本」と「右中山道/左中山道」
摺針峠への道
峠から下ってきて、旧摺針(するはり)村に入りました。
9:14 称名寺
【摺針峠と望湖堂】
9:16 神明宮の急階段。この階段を上った辺りが摺針峠です。
少し右に行くと、望湖堂跡。琵琶湖の絶景を望めたそうです。
茶屋本陣の格式を備えた大きな茶屋があったそうです。
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中山道 摺針峠
中山道は、鳥居本の宿場町から山道を登って江戸へ下っていきました。山道を曲がると急に視界が開け、この峠から眺める琵琶湖や湖東平野の眺めは最高だったといわれています。
摺針峠には、弘法大師にちなむ逸話が残されています。
「道はなほ学ぶることの難(かた)からむ斧を針とせし人もこそあれ」
その昔、また諸国を修行して歩いていた青年僧が、挫折しそうになって、この峠にさしかかったとき、白髪の老婆が石で斧を磨ぐのに出会います。聞くと、一本きりの大切な針を折ってしまったので、斧をこうして磨いて針にするといいます。そのとき、ハッと悟った青年僧は、自分の修行の未熟さを恥じ、修行に励み、後に、弘法大使になったと伝えられています。
その後、再びこの峠を訪れた大師は、摺針明神宮に栃餅を供え、杉の若木を植え、この一首を詠んだと伝えます。この後、峠は「摺針峠(磨針峠)」と呼ばれるようになりました。
その杉が摺針明神宮の社殿前にあり、太いしめ縄が張られています。現在、峠より一段高いところにありますが、以前、峠はこの杉のすぐ脇を通っていたといわれています。また、杉の真下に「望湖堂」とい名の峠の茶店が保存されていましたが、平成3年(1991年)に残念にも火災にあい焼失しました。
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この記事は、京都から江戸へ向かう目線で書かれています。私はこの逆で、番場宿から摺針峠に上り、鳥居本宿に下りました。
番場宿で出会った作務衣のおじさんが、望湖堂から琵琶湖が見える日と見えない日があるようにおっしゃっていましたが、本日は見えるような見えないような。湖みたいな平らなところが見えるような気もするし、見えないのかもしれない。見えたような気がするので、見えたことにしておきます。
こちらは、2016年に撮った写真です。
案内板
「 望湖堂跡
江戸時代、摺針峠に望湖堂という大きな茶屋が設けられていた。 峠を行き交う旅人は、ここで絶景を楽しみながら『するはり餅』に舌鼓を打った。 参勤交代の大名や朝鮮通信使の使節、また幕末の和宮降嫁の際も当所に立ち寄っており、茶屋とは言いながらも建物は本陣構えで、『御小休御本陣』を自称するほどであった。 その繁栄ぶりは、近隣の鳥居本宿と番場宿の本陣が、寛政七年(一七九五)八月、奉行宛に連署で、望湖堂に本陣まがいの営業を慎むように訴えていることからも推測される。 この望湖堂は、往時の姿をよく留め、参勤交代や朝鮮通信使の資料なども多数保管していたが、近年の火災で焼失したのが惜しまれる。 」
【旧道は山道】
9:26 分岐。右斜めの山道を下ります。
板を渡した橋
りっぱな竹林
この山道、整備されたのでしょうか。2016年に来たときの方が三本丸太橋が怖かったり、なかなか大変な山道だった記憶があります。
2016年のブログより
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【旧道は山道】
2016.8. 月31日(水)
摺針村から下る車道はうねうね遠回りしていますが、旧中山道は、
「えっ、まじ~!?」
と尻込みしてしまう急な山道に入ります。
一旦車道に出ますが、車道を横断して次の山道へ。
次も山道です。
写真のような木の橋もありました。
特に二つ目の三本橋が怖かった。
こちらの写真のような道になると、歩きやすくて楽しかった。
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9:37 下矢倉
9:41 「右 中山道 左 北国道」道標
9:41 矢倉橋
9:43 分岐 左斜めへ
9:43 「右 中山道」道標
【彦根市モニュメント】
9:44 彦根市のモニュメント
三本の柱の上に、近江商人、旅人、虚無僧が載っています。 彦根市へ向かう人からは「おいでやす 彦根市」が見えて、彦根市から出る人には、「またおいでやす」が見えます。
ここを訪れるのは3回目。3回とも印象深いモニュメントです。
二度目の中山道26日目の3(鳥居本宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/02/23/172304
二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003