紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2度目の東海道五十三次歩き11日目の7(袋井宿)

2度目の東海道11日目の7

5月2日(木)の7


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【新屋町の秋葉常夜燈】

15:28 新屋の秋葉山常夜燈(鞘堂)
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案内板

「 新屋の秋葉山常夜灯 一基

 火伏の神である秋葉山三尺坊大権現に対する庶民の信仰は、江戸時代にさかんになりました。秋葉山詣のために上方や関東、東海では秋葉講が組織され、秋葉山へ参詣する人々が多くなりました。袋井市域でも秋葉信仰がさかんとなり、各地区に常夜灯が建てられました。常夜灯は秋葉山に参詣するための秋葉道や東海道沿いにあるものばかりでなく、その地区の人々が火伏の神への信仰から建てられるものもありました。市内には石で作られた灯籠形と、木造の屋形の常夜灯が合計十四基現存しています。新屋の常夜灯は木造屋形で、作者は不明ながら見事な彫物がみられ、保存状況のたいへんよい常夜灯です。かつては、東海道を行き来する旅人のよい目印となったことでしょう。
平成十二年八月
袋井市教育委員会


【袋井宿と天橋】

15:34 天橋
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案内板

「 袋井宿と天橋

袋井宿 は元和ニ(一六一六)年に設置されました。いわゆる東海道五十三次 でいえば品川宿から数えてニ七番目の宿駅にあたります。天橋(阿麻橋)は袋井宿の東の入口にかかっていた土橋です。天保一四(一八四三)年の調査によれば、宿内の街並みは西端の中川まで五町一五間人口は八四三人、家数は本陣三軒・旅籠屋の五〇軒を含め一九五軒でした。
平成元年六月四日
袋井市教育委員会

是より袋井宿
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【袋井宿 どまん中茶屋】

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15:35 袋井宿どまん中茶屋
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どまん中茶屋に来たのは三度目です。

私は、ここはいつでも開いていると思っていましたが、考えてみると、係りの方(地元の方が輪番でやっているらしい)の都合もありますよね。

調べてみたら、9:00〜16:00 月曜定休です。

10年前は17:00過ぎまでやっていたのかなあ。真っ暗な中、到着して、本当はもう閉める準備をしていたらしいのですが、私が命からがらたどり着いた感じだったから、招き入れてお茶やお茶請けもたくさん出してくれました。

今回来てみたら、お茶だけですね。

私は茶飴と茶のど飴を買いました。茶のど飴は、今夜、掛川で一緒に飲む約束をしているAちゃんへのお土産。

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【10年前のどまん中茶屋】


こちらの写真は、10年前のどまん中茶屋です。
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この写真は、真っ暗な中、初めて訪れた時に出していただいたお茶請けの数々。
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後日その続きを歩くために再訪したときで、ご老人がたくさん集まっていました。

当時は老人の溜まり場になっていたのかな。下部温泉に行ってきた、という方のお土産を御裾分けしていただきました。

今回来てみたら、お当番の方は大分若返り、お茶しか出さなくなったみたいですね。

10年前のブログ

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【 袋井宿どまんなか茶屋】

暫く行くと、国道1号線に出ました。

ここで再び国道と別れて左斜めに入っていくのですが、暗いせいで道が分からなくなりました。

うろうろ迷った末に、どまん中茶屋にたどり着きました。

どまん中茶屋の前を箒で掃いているおじいさんがいて、私が使い捨てカメラでどまん中茶屋の写真を撮っていたら、「撮ってあげましょう」と、私がどまん中茶屋の入り口にいる写真を撮ってくれました。

どまんなか茶屋は、広重の袋井宿の絵に似せて作られているそうです。
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中に入ってリュックをおろして座ったら、おじいさんがお茶を入れてくれました。

私はてっきり、どまん中茶屋って、団子などを有料で食べる店だと思っていましたが、どこにもメニューがなく、おじいさんは梅干しや漬け物やおつまみ煎餅などをずらりと並べてくれた(写真3)ので、梅干しをいただきました。

おじいさんが、袋井の案内チラシと、東海道400年記念に作られた、袋井今昔の巻物をくれたので、チラシに載っているどまん中茶屋のところを見て、ここは無料休憩所で、地元の方がお茶を出してくださることが分かりました。

テレビで、あの天才作曲家TKが逮捕されて車に乗せられているニュースをやっていました。

おじいさんが小夜の中山は怖くなかったか聞いてきたので、昼間の明るい時間だったから、と答えたら、おじいさんが言うには、金谷から来ると明るい内に小夜の中山を越えられるからいいが、こちらから行くと、小夜の中山で暗くなる。みんな箱根や鈴鹿は難所であることを調べて行くが、小夜の中山が箱根や鈴鹿に匹敵する難所であることを知らないで怖い目に会うのだそうです。

私も小夜の中山は西行が「命なりけり」と歌ったことを知っていただけですが…

そう言えば、私は気持ちよく風と日差しと茶畑を堪能して楽しく歩いたけれど、茶畑の中の道、街灯が一本もなかった。

人家も扇茶屋以外何もなかった。暗くなったらさぞかし遠くて怖いだろうなあ。


どまん中茶屋のおじいさんは、私が今日は帰る、と言ったら、「じゃあ、次に来るときは、また袋井に来るのでしょう。木造の常夜灯は是非見てください」と教えてくれました。

記念の記帳をして、おじいさんに駅への行き方を教えてもらって、どまん中茶屋をあとにしました。

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今回も記念の記帳をしました。

どまん中茶屋には11分いました。

16:00 袋井駅
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掛川まで電車で戻って、予約してあった駅前のホテルにチェックインしました。

本日の歩数 42,500歩 25.9km

明日も、袋井から続きを歩きます。


2度目の東海道12日目の1(袋井宿の2)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2019/12/23/220209



2度目の東海道五十三次歩き目次1へ
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/02/10/101738

2度目の東海道五十三次歩き 目次2へ
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2度目の東海道五十三次歩き 目次3へ
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2度目の東海道五十三次歩き 目次4へ
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東海道五十三次の絵手紙前半へ
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東海道五十三次の絵手紙後半へ
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