岡 朝子の俳句と街道歩き旅

Yahooブログで文章置き場にしていましたが、引っ越してきたので、その後の俳句もぼちぼち更新していきたいと思います。

2度目の東海道五十三次歩き8日目の1(江尻から府中)

2度目の東海道8日目の1

4月6日(土)の1


安倍川もち

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今日は東海道五十三次8日目。江尻(清水)~府中(静岡)~安倍川(安倍川もちを食べました)~丸子

絵手紙は、2016年4月5日に青春18きっぷの旅で丸子へ行った時に描いた丸子宿の丁子屋(とろろ汁)
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丸子付近の桜
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今日食べた安倍川もち
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【江尻を出発】

5:50 起床

7:00 朝食

7:26 出発

7:26 昨日のラスト、江尻東交差点に着きました。
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カバンの池田屋のところでカクッと右に曲がり、右に久保山印刷がある角で、またカクッと左に曲がります。

街道はほぼ真っ直ぐが多いのですが、宿場の出入り口は鍵型に曲げてあります。

城がある場合は、攻めにくくするために鍵型にするのですが、参勤交代の大名行列がかち合わないようにわざと鍵型を作って、前に他の大名行列がいないか、いた場合、どちらが格上か、などを偵察してから宿場に入るために、宿場の出入り口は鍵型にしている場合が多いそうです。

7:35 江浄寺
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巴川にかかる稚児橋の四隅には河童がいました。
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10年前のブログ用に描いた絵手紙。
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【 稚児橋の由来】

 慶長12年(西暦1607年)徳川家康の命により、東海道五十三次沿いの巴川に橋が架けられ、江尻の宿にちなんで江尻橋と命名されることとなり、渡り初めの日とはなった。 さて儀式に先がけて、かねて選ばれていた老夫婦がまさに橋に足をかけようとした瞬間、川に中から一人の童子が現れたとみるやするすると橋脚を登り忽然と入江方面へ消え去った。渡り初めに集まっていた人たちは、あまりに突然のこととてあっけにとられたが、このことから橋名を江尻橋から童子変じて稚児橋と名付けられたといわれている。 なおその不思議な童子は巴川に住む河童だったとも語り継がれている。


さて、清水銀座を通り(まだほとんどの店が閉まっていました)、追分羊羮の店横の「是より志三づ道」の追分道標、10年前は見つけて写真を撮ったのですが、今回は見逃してしまいました。
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特にこの道路は以前より拡張して案内板などを外してしまったところが多いようです。

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7:50 慈雲寺
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【消えた都鳥の碑】

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追分羊羮の店(10年前は暖簾が出ていましたが、今回はまだ開店前でした)のすぐ先に、都鳥の碑があるはずでしたが、見当たりませんでした。これも取り除かれちゃったのかな?

10年前のブログ

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【都鳥】
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その先で、清水次郎長の一家に殺された都田吉兵衛の供養塔を見て…

田吉兵衛は「都鳥」と渾名されていた男で、次郎長の子分の森の石松を殺した敵として次郎長一家に狙われていました。

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8:04 ファミマでトイレを借りて、R-1ヨーグルトを飲みました。

8:09 金谷橋
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元追分
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8:14 追分踏切
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静岡鉄道の踏切を渡りました。


【上原子安地蔵堂

8:25 久能寺観音堂の石柱
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8:27 狐ヶ崎駅前
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長男が小さな頃、2年間静岡に住んでいたのですが、小さな子を連れて遊びに来るのにちょうどよい、狐ヶ崎ヤングランドという小さなテーマパークがあったのですが、今はなくなってしまいました。(10年前に来た時にも既にありませんでした)

8:29 上原子安地蔵堂
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案内板

「 【上原延命子安地蔵尊由来略記】

 上原延命子安地蔵尊は、古来世の人々の、長寿、安産、子育、安全の守護として、近隣の人々の信仰を集めて来た。創建時代は明らかではないが、焼失した木像の御本尊は、行基菩薩作との伝説があった。之に従えば奈良時代となる。然し庶民一般に地蔵信仰が普及し、各地に地蔵堂が建立されるようになったのは、鎌倉時代とされている。

 上原の古地名は地蔵原ともいわれていたが、室町時代後期には既に正式に上原の地名が用いられている。これ等の事を思い合せれば、創建は鎌倉時代或はそれ以前と考えられる。

 永禄十一年十二月(1568)武田信玄が、駿府今川氏真を攻める時、本体の部将、山県昌景の部隊がこの地蔵堂を中心とする、上原の地に宿営布陣した記録がある。

 次いで天正十年二月(1582)徳川家康が、武田勝頼を攻めるに先立ち、武田の宿将江尻の城主穴山梅雪と、この地蔵堂で会見した。その結果梅雪は家康に降り、武田氏滅亡の切掛となった。

 元和元年大阪夏の陣の直後、秋十月(1615)吉川福聚院の住職明眼和尚の尽力と、付近住民の協力により、荒廃していた地蔵堂も立派な堂宇として再建された。

 然しこの堂も明治二十四年九月(1891)、何者かの失火により、御本尊と共に焼失した。以来地蔵堂は、間口1.2米、奥行1.8米程の仮堂で、四十一年間を過ごすことになったのである。

 昭和七年四月(1932)上原区民の、長い間の悲願であった地蔵堂も、区民四十余年に亘り積み立てた浄財により立派に再建され、今日に至っている。

(後略) 」


【狸八相縁起】

8:38 草薙一里塚跡(江戸から43番)
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隣に巨大な狸がいます。
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狸八相縁起にちなんだ縁起物だそうです。

狸像の八つの縁起

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笠 思わざるは悪事災難避けるため用心常に身をまもる笠(思いがけない災難から身を守る)

通 世渡りは先ず信用が第一ぞ活動常に四通八達(世渡りには信用が第一。)

目 何事も前後左右に気を配り正しく見つむることを忘れめ(何事も前後左右に気を配り正しく見つめる)

腹 もの事は常に落つきさりながら決断力の大胆をもて(常に沈着冷静にしかし、決断には大胆さが必要である。)

顔 世は広く互いに愛想よく暮し道を以って務めはげまん(常に愛想良く真を以て努める)

金袋 金銭の宝は自由自在なる運用をなせ(金銭を自由自在に使える金運に恵まれるように)

徳利 恵まれし飲食のみにこと足利て徳はひそかに我につけん(飲食には困らず、徳を持てるように努力せよ)

尾 なに事も終わりは大きくしっかりと身を立てるこそ真の幸福(物事の終わりは大きく、しっかりと身を立てることが幸福である。)

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【草薙神社大鳥居】

8:49 草薙神社大鳥居
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【 草薙の剣】

暫く、県道407号線の、車通りの多い道の歩道を進みます。

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長女が「草薙って地名があるんだね」と言うので、ヤマトタケルの東征の時、伊勢斎宮の叔母が天の叢雲の剣(スサノオヤマタノオロチ退治した時、尾から出てきた剣)を持たせてくれて、この辺りで敵の火攻めを受けた時、天の叢雲の剣で草をなぎはらって難を逃れたことから、その剣を草薙の剣と言うようになった話をしました。

草薙神社の大鳥居は見ましたが、草薙神社までは1kmと聞き、今回は諦めました。
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大鳥居の大きさが分かるように、上の写真は鳥居の根本に長女がいる写真。

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【迷いやすい辺り】

本当は、草薙神社大鳥居のすぐ先で左に折れて旧道に入るはずだったのに、県道をひたすら進んでしまいました。

10年前長女と歩いた時、静かな道で癒されたのに、その楽しみにしていた道を通らずに終わってしまったし、写真1の旧東海道記念碑(この写真は10年前に撮ったもの)も見なかった。
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変だな、と気づいたのは、草薙球場を通り過ぎてしまってから。

本当は草薙球場の入り口から右斜めに、流通センター通りという道を静岡鉄道古庄(ふるしょう)駅に向かって歩くはずだったのですが、大分進んでしまっていたので、古庄のもっと先、西側の長沼交差点に向かって北上して軌道修正をしました。

実は10年前もこの辺り、迷いました。

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【 分かりづらい辺り】

運動場前で右へ行く辺りで戸惑っていたら、軽トラのおじさんが「東海道はこっちだよ」と教えてくれました。

しかし、その後がまた分かりづらくて…

東海道線の線路脇の東海道の碑の右横のトンネルを潜って、東海道線を横切るのですが…狭いトンネルなのに、車や自転車が警笛やベルを鳴らしながら通るので、怖いし、トンネルを抜けてからどう進んでいいのか分からず、ガイドブックに「道なりに進む」と書いてあるのを取り違えて、すごい遠回りしてしまいました。

トンネルを抜けたら、左の方に(最初は線路際を進むように)行くべきだったのを、右に行ったため、遠回りになりました。

国道1号に合流し、長沼交差点で右斜めの静かな道に入り、長沼の辺りを通るとき、近くの小さな山の上の鉄塔に東海大学と書いてあるのが見えました。

道は一旦国道にぶつかり、その辺りの道が残っていないそうで、柚木駅から南に下ってトンネルをくぐってすぐに右折のはずが…

トンネル出口辺りで工事をしていて右に行けず、かなり南側の道まで行ってしまいました。

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長沼交差点辺りで軌道修正したのは10年前と同じですが、間違え方が全然違います。

10年前に書いた、柚木駅辺りを南下してトンネルを潜ってすぐ右、というのは、今回は出来ました。

長沼交差点先の静かな道。
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線路の向こうに見えた護国神社
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本日の2に続く