紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

矢除け地蔵堂

矢除け地蔵堂

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( 説明板より)

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地蔵町勝満寺の門前に地蔵堂がある。
この地蔵堂には地蔵菩薩聖徳太子が祀られてあり、
通称矢除け地蔵尊と呼ばれ親しまれている。
元は旧中山道の松の畷手にあったものを現在地に移されたもので、
以後松の畷手を地蔵畷手と呼ぶようになり、
以来現在の集落を地蔵村と呼ぶようになっ た。
この地蔵さんは、西暦570年三十代敏達天皇のころ、
仏教が伝来した。
当時疫病が流行し、仏教の信仰によるものと、
これに反対する物部守屋と争われた聖徳太子が、
守屋からの難を避けてこの地方に隠れておられた。
――中略――

守屋の軍勢が聖徳太子を発見し、
矢を射かけたところ、突如金色の地蔵菩薩が立たれた。
あとになって松の根方に、
小さな地蔵さんが右肩に矢を射込まれて血が流れた後があった。
世人はこれを尊び一宇の堂を建て、
往来の安全を願った。――後略)とある。
それで地蔵堂の前の松ノ木の下に沢山の地蔵尊がある。

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