中山道守山宿 案内板
案内板
「 中山道守山宿
守山は古来、東山道の宿駅として栄えました。 江戸時代に入り、東山道から中山道に改められた。 寛永十九年(一六四二)守山宿は、徳川幕府より、中山道の正式宿場としての制札が下され認可されました。 中山道は板橋(東京都)から守山までの六十七次で守山は最終宿場でした。 江戸時代、旅人の一日の行程は八里(約32キロ)から十里(約40キロ)でした。 京都三条大橋から守山までが八里六町(約34.4キロ)でこの行程にあたる。 京都から中山道を通って江戸方面に行く(東下り)人たちは守山で泊まりました。 この事から『京だち守山泊り』と呼ばれ守山は明治維新まで繁栄しました。