紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

中山道守山宿 案内板

中山道守山宿 案内板

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案内板
中山道守山宿

守山は古来、東山道の宿駅として栄えました。 江戸時代に入り、東山道から中山道に改められた。 寛永十九年(一六四二)守山宿は、徳川幕府より、中山道の正式宿場としての制札が下され認可されました。 中山道は板橋(東京都)から守山までの六十七次で守山は最終宿場でした。 江戸時代、旅人の一日の行程は八里(約32キロ)から十里(約40キロ)でした。 京都三条大橋から守山までが八里六町(約34.4キロ)でこの行程にあたる。 京都から中山道を通って江戸方面に行く(東下り)人たちは守山で泊まりました。 この事から『京だち守山泊り』と呼ばれ守山は明治維新まで繁栄しました。  

平成二十五年五月 
中山道守山宿歴史文化保存会 
守山市観光物産協会 」