東門院
JAPAN GEOGRAPHICより
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東門院( とうもんいん ) (守山観音)
平安時代の初期、今から千二百年前、最澄が延暦13年(794)に開いたとされる古い寺。
桓武天皇の勅願により、最澄が鎮護国家の道場とした叡山三千坊の「東門」にあたるためこの名称が付けられたと伝えるが、坂上田村麿呂の伝承のように「皇城」の「東門守護」から付けられたとも伝えられる。
しかし、座主良源(912~985)以降、広大な荘園を有し、東側の志那街道(比叡山街道ともいう)の山門屯所の仏像を安置したことからこの名称になったとするのが妥当とされている。
本寺は中近世度々の戦火に遭いながらも信仰を集め、門前町を形成、守山宿と共に市街地発展の核的役割を果たしてきた。
江戸時代には朝鮮人街道を通る朝鮮特使の宿舎になっていた。
昭和61年(1986)本堂焼失により、寺宝類を多数焼損したが、平成3年(1991)本堂が再建され、修復された仏像等が安置された。
不動明王坐像・石造五重塔が国重要文化財、石造宝塔、石造宝篋印塔が国重要美術品建造物である。
その他、市指定文化財が多くある。
境内南隅に座す三基の石塔が当寺の歴史を語る。
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