帆柱観世音
案内板
「 帆柱観世音
このお寺は、天台宗山門派比叡山正覚寺末寺の無檀家寺です。古来地元吉身や近在の人びとから『帆柱観音さん』と親しまれ、広く信仰されてきました。 ご本尊は十一面観世音菩薩立像(秘仏)です。 縁起によれば、傳教大師最澄が桓武天皇の勅命で唐の国に留学、修行しての帰国途上、突然の海難に遭遇して危急の祈り、海上に観世音菩薩が現れて風波が鎮まり無事に帰国された。 帰国後大師は海難で折れた船の帆柱で、十一面観世音菩薩と脇侍の持国天・多聞天像を彫り、弘仁元年(八一○)中山道に沿う吉身の地に水難をはじめ全ての交通安全の守り仏として安置されたのが起源とされています。 元亀二年(一五七一)織田信長の兵火の際、村人達がご本尊を地中に埋めてお守りし、その後現在の地にお堂を建てて、以来ずっと護持してきました。 また境内薬師堂に安置されていた源信僧都作と伝える薬師如来坐像と脇侍の日光・月光両菩薩立像は本堂改修に伴って修復され、文禄三年(一五九四)の銘を残す鬼瓦とともに守山市の指定文化財になっています。 特に修復後新本堂に安置された薬師如来坐像は、昔この寺が馬路石邊神社の神宮寺で、海や水の守り神住吉神との関わりが深いとされる本地仏(神本来の姿で祀られた仏)の可能性の高い仏像として平成二十一年(二○○九)志賀県の「近江水の宝」にも認定された傑作です。 この度、江戸期以来風雨に晒され崩壊寸前であった本堂を、地元吉身の住民が中心となって浄財を募り、新しく再建して落慶を迎えました。
平成二十一年(二○○九)十一月一日 管理者 慈眼寺 慈眼寺本堂改築委員会 」