紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

茂田井 間の宿

f:id:asiandream0804:20200623145257j:plain
案内板
「 茂田井間の宿(もたいあいのしゅく)

慶長年間、徳川幕府によってつくられた中山道は、近世五街道のひとつであり、江戸と京都の交流を結ぶ役を果たしていた。
茂田井間の宿は、望月宿と芦田宿の間に位置し、旅人の休み処としての機能を持ち、多くの旅人の往来があった。
今、地域内の街道沿いには江戸時代の往時を偲ばせる土蔵や造り酒屋・民家・道路脇の水路等旅人に安らぎを与える往時の風情を見ることができる。
文久元年(一八六一)十一月七日、徳川十四代将軍家茂(いえもち)に、公武合体のために降嫁された孝明天皇の妹『和宮(かずのみや)』の行列が茂田井間の宿を通過された。
また、元治元年(一八六四)十一月十九日、天狗党水戸浪士の中山道通過に際し、茂田井村が小諸藩兵士四百人程の拠点になったなど、多くの記録が残されている。
一里塚は、石割坂(いしわりざか)を上りきったところに位置し、北側には榎(えのき)の木、南側には欅(けやき)の木が植えられていたという。江戸より四十二番目の一里塚であり、明治初期には豊川稲荷が祀られていた。現在は痕跡だけが見られるのみである。

茂田井間の宿保全・活性化実行委員会 」

f:id:asiandream0804:20200623145454j:plain

f:id:asiandream0804:20200623145520j:plain
f:id:asiandream0804:20200623145534j:plain