案内板
「 高札場跡
江戸時代は、宿の街道筋の真中を塩名田用水が西から東へ流れていて、高札場が用水をまたいで設けられていた。そこには五枚の高札があり内容的には、宿継の人馬賃金、親子兄弟間の道徳、毒薬偽薬、などが掲げられていた。明治九年(一八七六)三月、公用の伝達掲示にと桂製で総長七尺五寸、内のり六尺二寸の物になった。また道路拡張のために北へ後退し用水路は路肩にふたをされた。高札場は現在公用掲示場に利用されている。 」
案内板
「 佐越(さごし) 佐藤家住宅
佐藤家(半左衛門)は、塩名田宿で最も古式の町屋の様式を伝える。天保二年(一八三一)正月『家別間数改帳』によると、間口七間半。入側(いりかわ)四畳、上段八畳、中間(なかのま)一〇畳、小座敷九畳、茶間一七畳、見世(みせ)九畳、土間二一坪、料理間四畳半をもつ。ほかに板の間などがある。家の裏側には庭があって、土蔵・物置・湯殿各一、雪陰二か所と井戸を配置する。 」