紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

二度目の中山道歩き19日目の3(妻籠宿から大妻籠)

二度目の中山道19日目の3
1月7日(火)の3


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【お地蔵さまや石の道標を見ながら】


10:19 お地蔵様
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名もなく、ガイド本にも何の記述もありませんが、赤いよだれ掛けは新しそうだし、花も手向けられ、大事にされているお地蔵様のようです。

赤いよだれ掛けの意味は?

「日本文化研究ブログ Japan Culture lab」より

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よくお地蔵さんには赤いよだれかけがかけてあったり、お菓子がお供えしてあったりします。

お地蔵さんは子供を守る神様として信仰される事が多く、自分の子供が元気に育つようにと、よだれかけを奉納するのだそうです。

よだれかけだけではなく、丸い頭にかぶせる頭巾を奉納されることもあります。

このよだれかけや頭巾、なぜ赤色なのでしょうか?

赤という色は「清く」「正しい」そして「正直な色」と信じられており、魔よけとして赤ちゃんやお地蔵さんに赤いものを着せる風習があります。

還暦でも赤いものを身につけますが、これは干支が一巡りして赤子に還るという意味で、お地蔵さんや赤ちゃんが赤いものを身につけるのと同様の意味で贈られています。

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また、「お地蔵さん.com」では、おじぞうさんの赤いよだれ掛けは2つの意味がある、と言っていて、上に上げた説の他にもうひとつ、

「赤い色は人間の煩悩を表している」としています。

「昔の人肌自らの煩悩を赤という刺激色に喩え、それをお地蔵さんに託すことで、雑念から解き放たれようとした」という説です。


10:20 中山道さんま碑
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自然石道標
「右(まごめ)旧道 左志ん道いいだ」

なぜ「さんま」なのか、わかりませんでした。

勝手な想像ですが、今は見えない下の方にまだ文字が隠れていて、「さんまた」(三又)と書いてあった? 何の物証もない架空の話です。

この先の、静かな田舎道を歩きながら、1月2日に買ったくるみ餅を食べました。

10:27 中山道走しば邑道標
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「走しば邑」は、「はしば村」でしょうか?

と思っていたら、この案内板がありました。

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案内板
「 石柱道標(町史跡)

明治二十五年に賤母(しずも)新道が開通するまで、馬籠〜妻籠〜三留野(みどの)を通る中山道は、古くから幹線道路として重要な役割を果していた。ことに妻籠の橋場は、『追分』とも呼ばれ、中山道飯田街道の分岐点として栄えた所である。
この道標は、飯田の皆川半四郎という人が発起人になって、当所の松井輿六・今井市兵衛・藤原彦作の世話人とともに、飯田・江州・地元の商人によって、明治十四年六月に建てられたものである。当時の繁栄が伺われる石柱である。 」

走しば邑は、橋場村、「追分」とも呼ばれた場所なんですね。


【曲がって曲がる、そして石仏】

10:29 右へ行って左へ曲がる
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その、最初の右に曲がる道標の中山道
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その先、左に曲がると山道
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10:31 石仏
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安政◯年二月 とか、左にも文字が刻まれていますが、読めません。

10:35 急な下り坂
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【大妻籠 弘法大師常夜燈】


10:37 弘法大師常夜燈
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男垂川に架かる神明橋を渡ると、左の旅館金剛屋前に「南無弘法大師之記念碑」があります。
初代が弘法大師を祭祠して信仰を深め、後に多くの信者達が浄財を集めて建立したもので、毎年3月21日に弘法大師の上り幟旗を掲げた祭礼が行われ、厄払い・お産・縁結びに御利益ありと記されています。


10:38 大妻籠
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matinami.o.oo7.jpより

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南木曽町妻籠の町並 
妻籠

妻籠の町並
 南木曽町吾妻には国の重要伝統的建造物群保存地区妻籠宿や中山道沿いの大妻籠集落も含まれる。大妻籠を訪ねたのだが、本卯建と出梁造りの民家が連なった小さな集落であった。その連なった民家の3、4軒とも民宿をされていて、それはそれで古い町並としては一級品であった。
そこから坂道を登ること15分ほどで、田んぼの中に県指定文化財の藤原家住宅があった。
改造はされているが、改造の手が入らなかった部分は17世紀半ばまでさかのぼる古い建築で、このクラスの民家は長野県内でも藤原家住宅を含めて3軒しかなく、国の重要文化財になっている家もあり、貴重な建築である。

町並指数  50  
参考文献 
  木曾 歴史と民俗を訪ねて  木曾教育会郷土館部編  平成8年

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なんでこんな小さな集落が大妻籠なんだろう?もしや、奥妻籠の意味なのでは?と思っていたら、やはり、奥妻籠がなまって大妻籠になったらしいです。

民宿が数軒と、あとはほとんどみんな農家で、鴨を飼っている家もありました。


【大妻籠まるや、つたむらや 県宝藤原家住宅】

10:41 大妻籠旅館まるや
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諸人御宿(もろとおやど)まるやホームページのトップページに

「大妻籠にて寛政元年創業 囲炉裏が創る想い出の 宿」

とありました。

冷暖房完備で料理も美味しいそうです。

本卯建(ほんうだつ)、出梁(だしばり)造りの、昔の街道を彷彿とさせる古民家です。

後日(2020年8月、娘と木曽路を歩き、大妻籠まるやに泊まりました。)

2020年8月 大妻籠まるや
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まるやの囲炉裏のある部屋
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手作りの美味しい夕食
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さて、2020年1月7日に戻ります。

隣も旅籠つたむらや、という民宿でした。

こちらは「つたむらや」
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10:43 県宝藤原家住宅の案内板
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案内板
「 県宝藤原家住宅
Nagano prf. Tresure The House of Fujiwaraa

この坂(左右どちらの道でも行ける)を登った上平に、県宝藤原家住宅がある。この住宅は改造が大であったが、当初部分は県内民家で最も古いクラスで、建築年次は、間取り・構造・仕上がりから、十七世紀半ばまでさかのぼると考えられる。昭和五十三年七月二十七日に県宝に指定された。昭和六十年度と六十一年度の二ヵ年をかけて解体復元工事が実施され、往時の姿がよみがえった。希望者は内部を見学することが出来る。 」

案内板からは遠そうだったので、パスしました。


【庚申塚と民宿こおしんづか】

10:45 庚申塚
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案内板
「 庚申碑について Koshin stone monument

庚申の日は六十日後とに巡り、年に六日あります。
この日の夜に人々が集まり、徹夜で念仏を唱えたり世間話をして、朝に解散する風習がありました。これは人の体内に「三尸の虫」という霊虫が住み、人々が寝静まると体内から出て天界に昇り、天帝にその人の悪行を告げ口し、怒った天帝がその人を早死にさせると言い伝えられており信仰されていました。ですから、庚申の日は夜通し起きて、虫が体内から出ないようにします。これを「庚申待」といいます。
おそらく最初は「庚申待の夜は厳かに過ごす」ものだったと思われますが、娯楽の乏しかった平安時代から「二ヶ月に一度の楽しい夜通しの宴」となり全国に広がりました。

中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石碑です。
It is a stone monument based on the Koshin belief originating from Taoism introduced from Chaina.
平成27年度地域発元気づくり支援金事業」

10:45 石畳風歩道
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10:46 山駕篭を吊るした家(民宿こおしんづか)
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妻籠おしんづか

ここも民宿です。山駕籠が吊られているのが印象的です。

10:47 暫く歩道が続くのかと思っていたら、山みち入口が見えました。
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二度目の中山道19日目の4(大妻籠から馬籠宿への道)
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/01/10/162530


二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003