那須の黒ばねと云所に知人あれば、是より野越にかゝりて、直道をゆかんとす。遥に一村を見かけて行に雨降り日暮る。農夫一家に一夜を借りて明ればまた野中を行。そのに野飼の馬あり。草刈おのこになげきよれば、農夫といへどもさすがに情しらぬには非ず。いかゞすべきや。されども此野は縦横にわかれて、うゐうゐ敷旅人の道踏みたがえん、あやしう侍れば、此馬のとどまる所にて馬を返し給へとかし侍ぬ。ちいさき者ふたり、馬の跡したひてはしる。独は小姫にて、名をかさねと云。聞なれぬ名のやさしかりければ、
かさねとは八重撫子の名成べし
曽良
頓て(やがて)人里に至れば、あたひを鞍つぼに結付て、馬を返しぬ。
松尾芭蕉
「おくのほそ道」より