案内板
「 近衛帝の久寿年中、勅を奉じて三浦介義明・千葉介常胤(つねたね)・上総介広常が、玉藻前が狐に化けて逃げて那須野に隠れ棲んでいるのを退治するために犬を狐に見たてゝ追い射る武技を行った跡という。俗に『犬追物跡(いぬおふもののあと)』または『犬射築地(けんしゃのついぢ)』の名があり、側に『犬追馬場跡』とか『犬射馬場(けんしゃのばば)』と称せられているところがある。
松尾芭蕉は元禄二年四月十二日(陽暦五月三十日 一六八九年)浄法寺桃雪の案内で『犬追物跡』を一見した。おそらく、犬追物の史話より謡曲『殺生石』に興味を覚えたからであろう。
曲によれば『三浦の介・上総の介両人に綸旨(りんじ)をなされつゝ、那須野の化生(けしょう)の者を退治せよとの勅を受けて、野干(やかん)は犬に似たれば犬にて稽古、あるべしとて、百日犬をぞ射たりける。これ、犬追物の始めとかや。』とある。 」
野干(やかん)とは Wikipediaより
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野干(やかん)とは漢訳仏典に登場する野獣。 射干(じゃかん、しゃかん、やかん)、豻(がん、かん)、野犴(やかん:犴は野生の犬のような類の動物、キツネやジャッカルなども宛てられる)とも。 狡猾な獣として描かれる。 中国では狐に似た正体不明の獣とされるが、日本では狐の異名として用いられることが多い。
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綸旨(りんじ)とは、
「天皇の仰せを受けて蔵人所(くろうどどころ)から出した文書(もんじょ)。」