紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

八坂神社境内 芭蕉の句碑

 

案内板
「   芭蕉の句碑

 芭蕉が元禄二年(一六八九年)三月(旧暦)『奥の細道』行に旅立ち、黒羽より高久に向かう道すがら四月十六日、手綱をとる馬子の願いにより作り与えた句を碑にしたものである。

  野を横に
    馬牽きむけよ
      ほとゝぎす

 この句は、どの辺りで作られたか明らかではないが、余瀬より蜂巣を過ぎると野間までは広き原野が続いていたので、この間につくられたものと思われる。
 その昔行われた那須野の狩を想い起こし、『私も武将になったつもりで、いばって命令してみようか』という心境で詠んだものである。
 句碑の建立は、文化五年(一八〇八年)十月に、当時鍋掛宿の俳人菊地某外数名によるものと思われる。
 平成五年(一九九三年)三月、街道景観形成事業により、ここに建て替えられた。

     黒磯市教育委員会


   鍋掛宿

 鍋掛宿は、江戸時代の五街道の一つ、奥州街道の宿場町として栄えた集落であり、最盛期には、戸数も百余戸を数え、旅籠、茶屋、その他多くの商家などでにぎわったという。
 江戸時代初期の正保(しょうほ)三年(一六四六年)以降は幕府直轄地天領として明治まで治められた。    」