案内板
「 市指定文化財
鍋掛の一里塚(史跡)
管理者 鍋掛神社
江戸時代、全国の主要な街道に日本橋を起点として一理毎にその目印として築かれた塚で、ここ鍋掛愛宕峠の塚は奥州街道四十一番目のもので、江戸より四十一里(約百六十一キロメートル)の距離を示す塚である。
(鍋掛宿誌)
当時の旅人の目印として、そして休憩地として親しまれていたそうである。
『野間の大野家文書』には、慶長四年甲辰(きのえたつ 一六〇四)に築かれたという記録が残っている。
もとは、ここより約十一メートルほど東側にあったが、道路の拡張工事等により現在地に移された。(平成六年三月)
また、かつては街道の南側にも塚があったが、現在では残っていない。
昭和四十四年一月一日 指定