紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

湖東焼「自然斎」旧居

湖東焼「自然斎」旧宅

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案内板

「 湖東焼『自然斎』旧宅

江戸時代、『米屋』という屋号の旅籠で、ここに住む岩根治右衛門は、若い頃より直弼の絵の師匠である中島安泰に学び、直弼から自分に自然であるようにと自然斎(じねんさい)の号を賜り、絵付け師として精進していました。

安政三年(一八五六)には普請方の許可を得て、民間で湖東焼の絵付けを行っていましたが、街道の往来が少なくなった明治初期に安曇川に移り、明治十年(一八七七)に亡くなりました。建物内はかつての旅籠の風情を残しています。 」