2021-04-27 湖東焼「自然斎」旧居 湖東焼「自然斎」旧宅 案内板「 湖東焼『自然斎』旧宅江戸時代、『米屋』という屋号の旅籠で、ここに住む岩根治右衛門は、若い頃より直弼の絵の師匠である中島安泰に学び、直弼から自分に自然であるようにと自然斎(じねんさい)の号を賜り、絵付け師として精進していました。安政三年(一八五六)には普請方の許可を得て、民間で湖東焼の絵付けを行っていましたが、街道の往来が少なくなった明治初期に安曇川に移り、明治十年(一八七七)に亡くなりました。建物内はかつての旅籠の風情を残しています。 」