紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

醒井延命地蔵尊縁起

醒井延命地蔵尊縁起

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案内板
醒井延命地蔵尊縁起

弘仁八年(西暦八一七年)百日を越える旱魃が続き、野も山も草木は枯れ、川や湖は干上がりました。 御心配になった嵯峨天皇の命により、伝教大師最澄)は比叡山の根本中堂に祭壇を設け、降雨をお祈りになりますと、薬師如来が夢の中に現れ、『ここより東へ数十里行ったところに清浄な泉がある。 そこへ行って雨を求めよ。』とお告げになりました。
伝教大師が泉を尋ねてこの醒井の里へ来られますと、白髪の老翁が忽然と現れ『わたしはこの水の守護神である。 ここに衆生済度・寿福円満の地蔵尊の像を刻み安置せよ、そうすれば雨が降り草木も生き返るであろう。』と言い終ると水の中へ消えてゆきました。
大師は早速石工を集め、一丈二尺(三.六米)の地蔵菩薩の坐像を刻み、祈念されますと、黒い雲がみるみるあらわれ、大雨が三日間降り続きました。
この雨で緑は甦り、生気を取り戻した人々は、地蔵菩薩の深いお慈悲と、伝教大師の比類なき知恵と徳行に、尊信の念をいっそう深くしたということです。
本尊の地蔵菩薩は、はじめ水中に安置されていましたので、俗に『尻冷し地蔵』と唱えられていましたが、慶長十三年九月濃州大垣の城主石川日向守が霊験を感謝し、佛恩に報いるため砂石を運び、泉の一部を埋め、辻堂を建立したと伝えられています。  
米原町米原町観光協会醒井区」