紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

おしゃもじ塚

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案内板
平安時代の上野介、平忠常の終焉の地『おしゃもじ塚』

平安中期、東国の上野介に任命された平忠常安房国司を殺害、房総半島を手中にし国家に反抗しました。朝廷は忠常討伐隊を派遣し3年に及ぶ戦闘の末、ついに忠常は降伏し、都に護送されることになりました。途中、病にかかり何も口にすることができないまま、野上の地に着きました。哀れに思った住民が食べ物を『しゃもじ』にのせ、差し出すと忠常は一気に食べそのまま息を引きとりました。
野上の住民はここに塚を築いて弔いました。
以来ここを『おしゃもじ塚』と呼び、毎年地元で供養をしています。 」