紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

虚空蔵堂

虚空蔵堂

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案内板
「 虚空蔵堂 と承久の乱  古戦場跡
Kokuzodo / Jokyu-no-Ran Kosenjo Ato (Site)

中山道を江戸から京へ向かうとき、太田宿の西の出口に虚空蔵堂はあります。
天明2年(1782)の『加茂郡太田村絵図 』には既に描かれており、当時から信仰の対象となっていました。ここには、京への道標があり、旅人たちの道案内となっていました。ここから段丘を下り、木曽川沿いに京を目指して西へ進みました。
また、承久3年(1221)に起こった『承久の乱』の木曽川合戦 では、後鳥羽上皇 率いる朝廷軍 と鎌倉幕府軍 が、木曽川を挟んで戦いました。このあたりが戦場の北端であったといわれています。(可児側が幕府軍・太田側が朝廷軍)

美濃加茂市商工観光課 」