あふた(邂逅)の清水
石碑
「 あふたの清水
木曽義仲奉弘仁三令與兵木曾谷討平氏相傳今井兼平自其郷來會邂逅于此時義仲馬額疼兼平牽至此泉洗足以醫其勞是地名洗馬之所以超也而里俗至今呼此泉為邂后清水恐舊蹟之久而煙没建石以表焉 」
このように読めますが、変換出来ない文字が二文字、仮の字で書いてあります。
「義仲馬額疼」と書きましたが、額ではなく友へんに頁、疼ではなくやまいだれに者です。
「信州の水50選」より
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木曽義仲が小県の依田城へ遠征した際、義仲の馬が強行軍のため疲れ果て、一歩も進むことができなくなってしまいました。そこで、義仲の忠臣今井四郎兼平は、この馬を村はずれに鬱蒼と茂る欅の根元からこんこんと湧く清水に引いてゆき、脚を洗ってやりました。すると馬はたちまち元気を取り戻したといいます。それ以来、この清水を「あふた(邂逅)の清水」と呼び、馬を洗ったことからこの地を「洗馬」と呼ぶようになりました。
洗馬太田にも同じ由来の「太田の清水」があります。
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