紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

兼松嘯風句碑 「 山間の雪の中ゆく筏かな」

兼松嘯風句碑
「 山間の雪の中ゆく筏かな」

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案内板(石碑)
「 兼松嘯風略歴

 通称甚蔵 加茂郡深田の人 承応三年 生家富家 俳諧を好み 澤露川に師事し、東美濃俳壇芭蕉門の老先輩たり。初句は
 ころころと 臼引きあるく よさむ哉
が、元禄九年の <浮世の北> にある。 
 嘯風屋敷を訪れた俳人は蕉門の露川、丈草、支考、恕風、魯九等数知れず。宝永元年嘯風は東美濃の諸家の俳諧を選し、『國の華』十二巻の内第四『薮の花』を編輯した。その中に芭蕉翁の大針観音奉納前書きの句がある。翌二年、『袋角』を選したが、上梓及ばず、宝永三年五月七日没。如碩全無信士 深田の墓地に眠る。行年五十三才。その後息子水尺が魯九の助力を得て嘯風の追悼集を付して発刊した。
 なつかしき お経の聲や 朧月     水尺の母
 木曽川の 上から匂ふ 梅の花    水尺
 一家揃って俳諧を良くし、水尺には『國曲集』の撰集がある。 」