紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

六地蔵石幢

六地蔵石幢
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案内板
六地蔵石幢

寺院や墓地の入口に置かれる石佛がこの六地蔵であり、ここでは南へ百米程参道を入った処に大林寺(現中洗井)が寛永十年(一六三三)に創立しています。この石憧は大林寺の入口として寺の創立二四年後、明暦三年(一六五七)に造立されています。中山道から寺への分岐点に立てられたのは、その入口としての役割と共に、当時しばしば見舞われていた水害を佛にすがって避けることと、極楽往生を願うものでした。その上中山道を行き交う旅人が道中の安全を祈り、心の安らぎを得て行く為でもありました。
地蔵菩薩は古くから多くの庶民にしたしまれ広く信仰されている佛像であります。釈迦入佛後、無佛の間この世に現れて衆生を救済する菩薩とされ、常に六道を巡って衆生を救い極楽に行けるよう力を貸してくれると信じられていました。更に六ツの分身を考えて六地蔵としての信仰が平安末期に始まったといわれています。石憧は六地蔵信仰と結びつき龕部(がんぶ)に六地蔵を彫るものが多く、室町末期から普及していますが、この地域では数少ないものの一つです。

平成二年二月一〇日
坂本地区文化遺産保存会 」

案内板の説明の中で、分からない言葉があったので調べました。


石幢とは デジタル大辞泉より

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せき‐どう【石×幢】
石塔の一。六角または八角の石柱と、仏龕(ぶつがん)・笠・宝珠などからなる。中国から渡来し、日本では室町時代以降のものが多い。

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龕(がん)

コトバンクより

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仏像を納めるため,岩壁を掘りくぼめた場所。古くインド,中国にその例がみられる。のち扉つきの厨子に仏像を安置したものを仏龕という。

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