紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

妻籠城址(県史跡)

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案内板

妻籠城址(県史跡)

妻籠城は、いつ誰によって築かれたか明らかではないが、室町中期には築城されていたと推察される。妻籠城は、天正十二年(一五八四)の小牧・長久手の戦いの折、ここも戦場となり、木曽義昌の家臣山村甚兵衛良勝(たかかつ)が籠って、徳川家康の配下の菅沼、保科らの軍勢を退けている。また、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原の戦いの時も、軍勢がはいってここを固めたが、元和二年(一六一六)には廃城となった。妻籠城は典型的な山城で、空堀(からぼり)・帯曲輪(おびくるわ)、さらには南木曽岳にのびる妻の神土塁(さいのかみどるい)という土塁も備えており、規模の大きな構えであったことが知れる。
主郭へは徒歩十分で、北は木曽川と遠く駒ヶ岳を望み、南は妻籠宿から馬籠峠まで一望できる。 」