紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

木曽福島宿 上の段の町並み

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案内板
「 古い町並みが残る上の段

 古い町並みが残るこの竹を上の段という。
 宿場 は江戸幕府の命により防塞の施設としても作られており、敵の進入を阻むため道を『鍵の手』に折り曲げたり、急な坂道や道の両側に石垣を作ったり、いわゆる『桝形』を設けており、この地区にはその地形がそのまま残っている。
 また上の段は、木曽義仲 から十九代目の木曽義昌 の居城『上之段城』があったところで、その郭内として多くの道筋が通っており、由緒ある小路名が残っている。

上の段と晴明社

 上の段区の晴明社は、平安時代に活躍した陰陽師安倍晴明(921~1005)を祀ったもので、安永五年(1776)に同地区にある大通り寺内に祀られ、明治五年になって町内にある水無神社に遷されていたものを、晴明没後千年にあたる平成十六年に氏子の上の段区民によって現在の地に祀られた。
 社殿は一間社流れ造りで、正面に掲げられた『晴明霊神』の額は十一代木曽代官山村良煕 の書であり、小さいながらも獅子・像鼻・波・龍・雲・松・竹の彫刻が施された立派な造りは一見の価値がある。
御神体は上の段に宿泊した山伏が持ち込んだ幣束とされ、これをこの地の神にせよと言って置いていったものと伝えられる。上の段区では旧暦の八月十五日(九月の十五夜)に祭礼が行われる。
 同じく当町黒川地区にも安倍晴明にまつわる『清博士』という地名があり、二基の宝篋印塔がある。この地区でも晴明様と呼んで正月には松のかわりに柳を飾るなど独特の風習を伝えている。 」