案内板
「 良寛碑
木曽路にて
この暮れの
もの恋しさに
わかくさの
妻呼びたてて
小牡鹿鳴くも
この歌は手まり
上人と言われた
良寛が木曽路
を通った折に
詠まれた二首の
内の一首です。 」
碑面
「 幾そち耳天
この久礼乃 毛の可奈之起耳 和可久さの
川まよひ堂てて さ遠志可奈久毛 」
読み
「木曽路にて
この暮の もの悲しきに 若草の
妻呼びたてて 小牡鹿鳴くも」
脇碑
「 此ノ碑ハ良寛ノ心ガ益々高揚サレマスコトヲ念ジ 加納陽治氏ノ御尽力 木原ゆ紀氏ノ土地ノ提供 中村渓男氏所蔵書使用ノ快諾ニヨッテ建設サレタモノデス
昭和六十年四月吉日
撰文 川口霽亭」
案内板に、「 良寛が木曽路を通った折に
詠まれた二首の内の一首です。」
とあるので、そのもうひとつの良寛の歌は?
「良寛さまのゆかり」というサイトに紹介されていました。
碑面
「 きそち耳て
さむしろ耳ころ毛可多志きぬ者多まの
さよふけ可多能月をみる可毛」
読み
「木曽路にて
さむしろに衣かたしきぬばたまの
さ夜ふけ方の月を見るかも」
碑陰
「この碑は ここ古典庵の旧跡が観月の名所(木曽八景の一つ)であることから 良寛さまが詠んだこの地の歌を平成二年度から実施した 中山間地域農村活性化総合整備事業の公園づくりを機に建立したものである
建設協力者 良寛書所蔵者
中村渓男(逗子市)
平成七年三月吉日
南木曽町長 楯 種臣
与川地区中山間地域活性化協議会
碑稿書 川口霽亭(名古屋市)
案内板
「木曽路にて
さむしろに 衣かたしき ぬばたまの
さ夜ふけ方の 月を見るかも
この歌は てまり上人といわれた 良寛が木曽路を通った折 詠まれた
2首のうちのひとつで その時期は 次の3つの場合のいずれかと思われる
1.師の国仙和尚に随って善光寺方面を巡錫した時で 天明4年(1784)
27歳頃
2.備中玉島にある円通寺での修行を終えて 越後に帰る時で 寛政7年
(1795)38歳頃
3.飛騨高山の大隆寺の僧宗龍禅師を参訪した時で 良寛20代後半か