紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

二度目の中山道歩き19日目の9(中津川宿1)

二度目の中山道19日目の9
2020年1月7日(火)の9

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【茶屋坂】

16:05 中山道案内図
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中山道案内図

中山道を通行の方は、ウォーキングルート及び歩道橋を通行してください。 」

16:04 階段を下りる
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16:05 中津川宿案内板
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案内板
中山道ぎふ17宿

江戸日本橋から京都三条大橋まで六十九宿〔百三十五里二十四町八間(約五百三十二キロ)〕。この中山道の四分の一相当の百二十八キロが美濃国、つまり岐阜県です。十六の宿場を持つ美濃中山道は、山間を通る道程で木々や渓谷に四季折々の自然の美しさがある街道です。
木曽路馬籠宿は、景観を保存した観光地として賑わいをみせています。

中津川宿

木曽路の玄関口として栄えた、江戸の日本橋から数えて四十五番目の宿場で街道情緒をよく残しています。その中でも曽我家住宅(市指定文化財)などの建物には、防火用あるいは身分の象徴(裕福な家にしか設けられない)ともいわれる『うだつ』が見られます。
昔から和菓子が有名な宿場町で、中津川が発祥の地の『栗きんとん』をはじめとした栗菓子・和菓子は、今も多くの方に親しまれています。 」

16:06 高札場跡(茶屋坂)
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案内板
「 高札場について

江戸時代には、禁制、法令等(制札)を板札に墨書きし、民衆の注目を引きやすい所に掲げて、その周知を図りました。
この制札(高札)を建てた場所を高札場といい、中津川宿での高札場は茶屋坂にありました。
その位置は、この案内板に向かって左約40m隔てた道路左側にあり、高札は道に面して掛けられていました。
高札場に掲げられた高札は、年代によって内容、札数等はそれぞれ異なりますが、ここに掲げられてあるものは、正徳元年(1711)に公布された高札の複製で、その文言は、中津川宿本陣の記録に残っているものを今様に読み下し文にしました。
どうか昔を偲ぶよすがとしてください。 」


【石仏石塔群と、中津川駅へ】

16:06 常夜燈 庚申塔 二十三夜塔
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16:11 すや本店
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すや本店 中津川観光協会公式Webサイトより

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栗菓子のふるさと中津川市で江戸時代より続く老舗”すや”。栗とほんの少しの砂糖で作られる栗きんとんや、栗こごり、栗羊羹など、変わらぬ味をお届けいたします。

美濃中津川、町の中を旧中山道が通っている。
木曽路の入口にあたる古い宿場町である。
中津川の町は、町のどこを歩いても恵那山が見える。2191mのこの秀麗な山は、美濃と信濃とを分ける分水嶺だ。
この山の上に、刷毛で刷いたような雲が流れると、美濃路のはてに秋がはじまる。
幾筋も波打つように横たわる丘陵には、野萩が紅い花をつけ、やわらかな芒の穂が風にそよぐ。
そして広大な恵那山麓のいたるところに栗の毬が笑みほころびはじめ、
中津川新町の古い菓舗“すや”に、一年のうちでもっとも忙しい季節がめぐってくるのである。
良寛の書から拾ったという「すや」の二文字 (※1)、その木曽けやきの大看板を掲げるこの店は、
中津川でも、一、二の旧家として知られる家だ。
栗きんとんの箱に貼られている版画風の絵は、わらぶきの茶店を描いているが、
建物はそんな姿で江戸後期の宝暦頃から、中山道に面して立っていた。

創業は元禄年間。
江戸から下ってきた一人の武士が、この宿場町に住みつき、「十八屋」の屋号で酢の店を開いた。
赤井九蔵というその人が“すや”の初代である。中津川宿の酢は、中山道でも有名だったらしく、
享和二年(1802)に、中山道を大阪から江戸へ下っていった大田南畝(※2)は、
この宿場に酢をひさぐ「十八屋」があることを、『壬戌紀行(じんじゅうきこう)』の中に書き留めている。
“すや”の現在の建物は、南畝が通ったときすでに建っていたわけだが、
彼も、この酢屋が百年後に菓子屋に変わろうとは思ってもみなかったことだろう。
(※1)良寛のいろはの書から倣たものでございます。(※2)大田南畝 おおた・なんぼ(1749-1823)
江戸後期の狂歌師・戯作者、江戸の人。名は覃。
別号は蜀山人・四方赤良。有能な幕臣でもあり、広く交遊をもち、天明調狂歌の基礎を作った。
編著「万載狂歌集」、咄本「鯛の味噌津」、随筆集「一話一言」など。(大辞泉)

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16:16 中津川駅
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16:20 中津川発 名古屋行き

16:53 土岐市駅

徒歩9分 ルートイン土岐泊

18:25 唐揚げ定食
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本日の歩数 35,932歩 21.91km

お疲れさまでした。


二度目の中山道20日目(中津川宿から大井宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/01/14/122057


二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003