案内板
「 峡の田に座して
石佛のどかなり 正人
万治三年(一六六〇年)敬虔な心の石工たちに刻まれてから村人たちに阿弥陀様と親しみ崇められて来たが、近年岡本太郎先生にその特異な石佛としての存在が評価され世の注目を浴びている。
案内板
「 万治の石仏
明歴三年 諏訪高島藩主諏訪忠晴が諏訪大社下社春宮に石の鳥居を寄進しようとしました。この仕事を請け負った石工がこの地にあった大きな石を加工しようとノミを入れたところ、石から血が流れだしました。驚いた石工は鳥居を造ることをやめ、この不思議な石に阿弥陀如来仏を刻み、建立したと伝えられています。
万治の石仏は、その名のとおり『万(よろず)のことが治(なおる)』万治を『ばんじ』と読み、物事をばんじまるく治めて願いを聞いてくれるありがたい石仏として広く人々の信仰を集めています。
大きな自然石にちんまりと首が乗っているアンバランスな佇まいとユーモラスな表情が特徴的 日本が誇る芸術家岡本太郎も万治の石仏を愛して止まず、この石仏を拝むために下諏訪を何度も訪れました。 」
案内板
「 万治の石仏と伝説
南無阿弥陀仏万治三年(一六六〇年)
十一月一日
願主明誉浄光心誉廣春
伝説によると諏訪大社下社(春宮)に石の大鳥居を造る時この石を材料にしようとノミを入れたところ傷口から血が流れ出したので、石工達は恐れをなし仕事をやめた(ミミの跡は現在でも残っている)その夜石工の夢枕に上原山(茅野市)に良い石材があると告げられ果たしてそこに良材を見つける事ができ鳥居は完成したというのである。石工達は、この石に阿弥陀如来をまつって記念とした。尚、この地籍はこの石仏にちなんで古くから下諏訪町字石仏となっている。
下諏訪町 」
案内板
「下諏訪観光協会と下諏訪商工会議所が提唱する
『万治の石仏』お参りの仕方
一、正面で一礼し、手を合わせて
『よろずおさまりますように』
と心で念じる。
二、石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する。
三、正面に戻り
『よろずおさめました』
と唱えてから一礼する。
(春宮ともゆかりのある石仏です。春宮にもお参り下さい。)
下諏訪観光協会
下諏訪商工会議所 」