「信州STYLE」より
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沿岸防衛が重要視される安政2年には安中藩主・板倉勝明が50歳以下の藩士の鍛錬のため、藩士96人を安中城の城門から碓氷峠・熊野権現まで徒競走をさせています(『安中御城内御諸士御遠足着帳』)。
これが有名な「安政遠足」(あんせいとおあし)で、日本のマラソンのルーツともいわれています。途中で碓氷峠の関所、ゴールの熊野権現で神主のサインを受け、帰路も駕籠(かご)などを使えば厳罰というお達しでした。峠では力餅の接待が用意されていました。
毎年5月の第2日曜には安中城址をスタート地点に、旧碓氷峠をゴールにする30km(標高差1050m)という過酷な『安政遠足侍マラソン大会』が開催されています。
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