紗蘭広夢の俳句と街道歩き旅

二度目の東海道五十三次歩きと二度目の中山道六十九次歩きのブログを書いています。今、中断していますが、俳句も書いています。

2021-04-04から1日間の記事一覧

旧中山道碓氷峠跡

案内板 「 旧中山道碓氷峠跡 江戸時代五街道の一つ。江戸から上野、信濃、美濃を経て近江草津で東海道と合する。 この谷間の道が五街道の一つ中山道で坂本宿を経て峠に至り、軽井沢宿への入り口になっていた。この道の険しさを旅人は 『旅人の身を粉に砕く難…

碓氷峠熊野神社

「群馬県神社ゴシュインマップ」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 【由緒】 当熊野神社は「碓氷権現」「熊野権現」として世に知られる、日本三大熊野の一つ。中山道碓氷峠の頂上に位置し、群馬県と長野県の県境が神社の中央を通っている。景行天皇40年(西暦110年頃)日…

安中遠足について

「信州STYLE」より↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓沿岸防衛が重要視される安政2年には安中藩主・板倉勝明が50歳以下の藩士の鍛錬のため、藩士96人を安中城の城門から碓氷峠・熊野権現まで徒競走をさせています(『安中御城内御諸士御遠足着帳』)。 これが有名な「安政遠足」(あ…

史蹟 赤門屋敷跡

案内板 「 史蹟 赤門屋敷跡 江戸幕府は諸大名を江戸に参勤させた。この制度の確立の為『中山道』が碓氷峠『熊野神社』前を通り、此の赤門屋敷跡には『加賀藩前田家』の御守殿門を倣って造られた朱塗りの門があった。諸大名が参勤交代で浅間根腰の三宿『追分…

陣場が原・子持山

陣場が原 案内板 「 陣馬が原 太平記に新田方と足利方のうすい峠の合戦が記され、戦国時代,武田方と上杉方のうすい峠合戦記がある。 笹沢から子持山の間は萱野原でここが古戦場といわれている。 」 子持山 案内板 「 子持山 万葉集第十四 東歌中 詠人不知 …

山中坂

山中坂 案内板 「 山中坂 山中茶屋から子持山の山麓を陣馬が原に向かって上がる急坂が山中坂で、この坂は『飯食い坂』とも呼ばれ、坂本宿から登ってきた旅人は空腹ではとても駄目なので手前の山中茶屋で飯を喰って登った。 山中茶屋の繁盛はこの坂にあった。…

山中茶屋跡・山中学校跡

山中茶屋跡 案内板 「 山中茶屋 山中茶屋は峠のまんなかにある茶屋で慶安年間(一六四八~)に峠町の人が川水をくみ上げるところに茶屋を開いた。 寛文二年(一六六二)には十三軒の立場茶屋ができ、寺もあって茶屋本陣には上段の間が二ヶ所あった。 明治の…