陣場が原
案内板
「 陣馬が原
太平記に新田方と足利方のうすい峠の合戦が記され、戦国時代,武田方と上杉方のうすい峠合戦記がある。
笹沢から子持山の間は萱野原でここが古戦場といわれている。 」
万葉集第十四 東歌中
詠人不知
兒持山若かへるでの
もみづまで
寝もと吾は思う
汝はあどか思う
(三四九四) 」
この歌にある「兒持山(児毛知山・子持山)」は、群馬・伊香保温泉近くの山で、こことは異なるようです。歌の意味は、
子持山の若いかえでの葉が、(秋になって)紅葉するまで、(あなたと)寝ていたいと私は思うが、あなたはどう思う?
注:「かへるで」=かえで。蛙の手の形をしているところから。「もみづ」=もみじ。紅葉。
山の名前に「子持ち」を懸け、寝ることで「子を持とう」ということで求婚している歌です。子持山付近での歌垣の世界の存在をうかがわせる歌です。
歌垣(うたがき) wikipediaより
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古代日本における歌垣は、特定の日時と場所に老若男女が集会し、共同飲食しながら歌を掛け合う呪的信仰に立つ行事であり、互いに求愛歌を掛け合いながら、対になり恋愛関係になるとされる。語源は「歌掛き(懸き)」であり、東国方言の「かがい(嬥歌)」も「懸け合い」に由来すると考えられている。時期としては春秋に行われ、生産の予祝・感謝としての性格を持っていたとされる。
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歌垣は元々中国の風習で、ベトナムを 経てインドシナ半島、フィリピンやインドネシアでも似た風習があるそうです。