二度目の中山道27日目の2
2020年11月12日(木)の2
【愛知川宿入り口】
9:21 愛知川宿入り口ゲート
9:22 旧田中家住宅(近江商人亭)
近江商人亭ホームページより
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国登録有形文化財に登録されました 旧田中家住宅(近江商人亭)は、近江鉄道愛知川駅の南東約300mに位置し、旧中山道に面する西側に奥行きの深い敷地に建っています。
現在は、平成6年に開業した料亭、「近江商人亭」として活用されていますが、昔は、麻織物商を営んでいた田中家の別邸でした。
既に明治25年(1892)に建てられていた南土蔵を再利用しながら、大正8年(1919)に主屋を新築し、続いて茶室、北蔵、大広間を建設、庭園を整備し、現在の屋敷構えが完成しました。
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【郡分延命地蔵堂】
9:24 郡分延命地蔵堂と愛知川宿北入口碑
可愛い木札の案内板
「 昔ここは郡と郡の境でした。また愛知川宿の入口でもあります。 」
お堂の右脇には、よだれ掛けを着けた自然石のお地蔵さんが30体(尊)ほど立て掛けられていました。
こちらは2016年に撮った写真です。
この看板は今回取り外されていました。
9:25 和菓子しろ平老舗
残念ながら木曜日定休でした。2016年9月に訪れたら時は、しろ平老舗できんかん大福を買って食べました。
2016年9 月5日(月)のブログより
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その(愛知川宿北入口碑の)すぐ先に写真の和菓子しろ平老舗(慶応元年創業)があり、きんかん大福の日除け暖簾がありました。
きんかん大福が気になって店内に入り、きんかん大福はバラ売りもしているということで、2個買いました。(1個178円)
後程食べましたが、金柑の酸味、苦味、白餡のほんのりした甘味がマッチして美味しかった。
もっと甘いものと思っていたので、金柑の苦味は新鮮でした。
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こちらは2016年9月5日に撮ったしろ平老舗です。
【盛り沢山のポケットパーク】
9:27 ポケットパーク
愛知川宿の絵がありました。
これを真似て絵手紙を描きました。
ポケットパーク内には、書状集箱がありました。
案内板
「 書状集箱
このポスト(書状集箱)は、明治4年(西暦1871年)郵便創業当時使用していたものと同じ型のものであり、「ポケット・パーク」が、町のシンボルとして、愛知川町は、かっての「木曽海道」六十九次の六十六番目の宿場町として栄えたことを記念されたところから、その景観等に合わせて設置したものです。
なお、このポストは、他のポスト同様に取り集めを行いますので、ご利用下さい。
平成五年四月二十二日
愛知川郵便局長 」
また、「むちん橋の由来」も書かれていました。
案内板
「 『むちんばし』の由来
『旅人をあはれみかけてむちんばし、深き心を流す衛知川』
西園寺藤原実丈
(さいおんじふじわらさねたけ)
この歌は愛知川宿の成宮家に家宝として残る一部。鈴鹿山系の水を集める幅二百余メートルの愛知川は、出水すると『人取り川』の異名のとおり、川沿いの人々(住民・民衆)をのみ、通行する旅人を困らせました。愛智川宿の、成宮弥治右衛門忠喜(ただよし・一七八一年―一八五五年)が四人の同志とともに、彦根藩に橋の建設を申し出たのは文政十二年(一八二九年)のことです。三年の歳月をへて、天保二年(一八三一年)に完成したのが無賃橋です。
当時の橋は通行料を支払うのが普通でしたが、慈善事業のため無賃とし、多くの旅人に喜ばれました。安藤広重の中山道六十九次『恵智川』にも『むちんばし はし銭いらず』として描かれて、後世にその篤行を伝えています。
愛知川の豊かな流れに沿ったこの地方一帯は、古くから交通の要所として栄え、江戸時代には中山道の宿場町として発展し、寛永十年(一六三三年)からは、幕府から『往還馬次米(おうかんばじまい)』として毎年十一石(こく)五斗七合の米が支給され、また、本陣・脇本陣も設置されました。
その後、橋は、愛智川宿の人々により大切に保護され、明治に入ると、二十二年の、大津―長浜間の鉄道開通、三十一年の近鉄彦根―八日市間の敷設などで中山道はだんだんさびれたが、いちじるしい交通網の発達、道路の整備で、再び交通の要所となりました。
現在の御幸橋は、こうした歴史を秘めて昭和三十六年、国道八号線の新設とともに架橋されたものですが、橋名の由来は、明治十一年秋、天皇巡幸を記念して建設された木橋を御幸(みゆき)橋と名付けられ、かぞえて四代目のものです。」
むちん橋の絵もありました。
9:29 立派な門
9:29 立派な家
9:30 親鸞聖人旧蹟(トイレをお借りしました。
【本陣跡】
9:30 本陣跡
2016年9月5日に訪れた時は、こんな感じでした。
その時のブログより
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愛知川宿の本陣跡。建物は本陣跡に建てられた近江銀行ですが、今は閉店しています。
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それが、今回来てみたら、なんだか綺麗になっているし、「愛知川ふれあい本陣」や「情報発信基地」などの看板が出ていました。
「しがトコ」(滋賀を自慢したくなるローカルメディア)より
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町屋が軒を連ね、宿場町の雰囲気が残る中山道沿いに ノスタルジックな雰囲気が漂う、洋館の建物。 大正15年建築の旧近江銀行愛知川支店と奥の民家を改装し、 新スポット『愛知川ふれあい本陣』として、2018年8月1日に生まれ変わりました!
江戸と京を結ぶ主要な街道のひとつ中山道は かつては近江商人らが行き交い賑わった場所。
この地に当時の賑わいを呼び戻す、観光・文化の交流拠点が 滋賀県愛知郡愛荘町に誕生です。
蘇った『旧近江銀行』をはじめ、真新しい施設は見どころいっぱい!
宿場町の雰囲気が残る町並みに、ちょっと異質な感じもする立派な洋館。 こちらは大正15年に建築された『 旧近江銀行』でした。
近江銀行と言えば、近江の豪商たちの手により設立された銀行。 昭和のはじめに銀行は破綻していますが 建物は手つかずのまま残っていたそうです。
そんな銀行の建物が美しく修繕され『情報発信施設』として蘇りました。
建物の中には銀行の面影があちこちに残されています。
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9:31 八幡神社
9:31 紅殻格子の家
9:32 旧家(株式会社 伊吹正)
9:34 日本料理 竹平楼(たけへいろう)
竹平楼ホームページより
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創業宝暦八年、竹平楼は江戸時代から続く老舗の料理旅館です。
初代平八が「竹の子屋」の屋号で旅籠を営んだことに始まります。
明治十一年、三代目の平八の時に明治天皇が、民情視察のため北陸東山道をご巡幸なされ、当家にお立ち寄りになりました。その時に侍従長の岩倉具視をはじめ大隈重信、井上馨、山岡鉄舟など明治を築いた重鎮の方々もお伴でお越しになったと伝え聞いております。
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竹平楼の門、工事中のようです。
町名の御幸町は、明治天皇が休憩されたことから付けられた名前のようです。
9:36 愛知川宿ゲート
【愛知川の一里塚跡】
9:38 愛知川の一里塚跡
2016年9月に来た時には、雨がやんだので、ここでレインコートとレインズボンを脱いだのを覚えています。
二度目の中山道27日目の3(愛知川宿から五個荘へ)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/02/26/185554
二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003