2度目の中山道15日目の3
3月25日(水)の3
【鳥居峠の山道へ】
11:46 分岐 山道へ
11:52 Y字を右へ
11:53 信濃路自然遊歩道道標
奈良井宿0.30km→
← 鳥居峠 2.01km
熊出没注意の看板
12:01 木の橋
12:05 展望台
ここはわざわざ上ってみましたが、木々がこんもり繁って展望はよくないので、行かなくてよいと想いました。(写真では山がきれいに見えていますが、普通に眺めると山はほとんど見えません。少しでもきれいに山が写るように工夫しました。)
展望台から、峠路に戻ります。
12:13 木の橋
12:14 木の橋
【葬沢・中の茶屋跡】
12:15 葬沢(ほうむりさわ)
案内板
「 本沢自然探勝園(葬沢)
Honsawa Natural Park
天正十年(一五八二)二月、木曽義昌が武田勝頼の二千余兵を迎撃し、大勝利を収めたとりいとうげの古戦場である。この時、武田方の戦死者五百余名でこの谷が埋もれたといわれ、戦死者を葬った場として、葬沢(ほうむりさわ)と呼ばれる。 」
12:16 中の茶屋
「 中の茶屋
奈良井宿 →1.15km
For The Naraijuku
鳥居峠 ←1.16km
For The Torii Pass 」
中の茶屋の小屋の中に、このような看板があるそうですが、私は中を確認しませんでした。
『恩讐の彼方に』の鳥居峠での場面は、静かな中に一瞬凄絶を極める
そして ここから遠く青の洞門へと舞台は移ってゆく。
この鳥居峠には作品として最も重要な動機が設定されているのであるが
思えば、その動機の背景をこれほど見事にふさわしく偲ばせるところも
ないのである。 鳥居峠の貫禄というものであろう。
鳥居峠、時に奈良井側からの峠の、あの山の背を這うようにしてゆく
崖道は、険阻そのものであると同時に、中山道全街道を通じて
最も深い趣をもつといっていい。
兎も角、幾百年の歴史の道は、その風格とも併せて春秋ただ
素晴らしいの一語につきる。 」
12:21 木の橋
12:26 木の橋風ですが、多分コンクリートの橋だと思います。
【鳥居峠一里塚跡】
鳥居峠は標高一一九七メートル、木曽川と奈良井川の分水嶺である。江戸時代の五街道の一つ、中山道の宿場町である奈良井宿と藪原(やぶはら)宿の境をなし、旅人には難所として知られていた。
戦国時代に、木曽義元が松本の小笠原氏と戦ったときに、この峠の頂上から、御嶽を遙拝し、戦勝を祈願した。その功あって勝利を得ることができたので、峠に鳥居を建てた。以来、この峠は『鳥居峠』と呼ばれるようになったという。
一里塚は京都から江戸までおよそ一里ごとに会同の両側に土を盛り上げて塚を築き、榎や松の木を植えて旅人の目安としたものであるというが、鳥居峠一里塚はその面影をとどめていない。場所も、古老の話や古地図、文献などによって『ほぼ、この辺り』としたものである。
平成二十五年十月
NPO法人木曽ユネスコ協会
説明文 楢川中学校一年
宮原 瑞季 」
12:33 木の橋
12:35 木の橋
12:38 未舗装車道(旧国道)を左へ
中部北陸自然歩道道標
奈良井宿 2.0km →
JR奈良井駅 3.0km →
「熊出没中」の看板
【中利茶屋跡】
中利茶屋跡
中利茶屋跡前の句碑
12:40 休憩所の右側の道を旧国道進行方向を見ながら斜め左へ
【鳥居峠】
御岳山眺望所まで 180m
明治天皇駐蹕所石碑まで 200m
御嶽神社(御嶽遙拝所)まで 600m 」
12:43 御嶽講 明覺霊神碑
案内板
「 御嶽講 明覺霊神碑
Monument to the Ontake-ko
御嶽を信仰する講社が建てた霊神碑。当時の御嶽信仰の盛大さが伺える。
平成29年度
日本遺産魅力発信推進事業」
12:45 景色が広がりました。この辺りが鳥居峠?
12:46 明治天皇駐蹕所碑
案内板
「 明治天皇駐蹕(ちゅうひつ)所碑
Monument to Emperor Meiji's visit
明治13年、明治天皇がこの地を巡幸されたことを記念して建設された。碑の裏面には、大正2年に木祖村長であった横澤雄次郎が建立したと記してある。
平成29年度
日本遺産魅力発信推進事業」
【峠の下り道】
12:51 遊歩道の階段を下ったら車道を右へ
12:52 旧国道が横切る十字路に出ました。
12:53 藪原方面への遊歩道へ(左斜め後ろに折れる)
12:53 熊除けの鐘
案内板
「 熊除けの鐘
Bear Alert
熊は臆病で、音や匂いに敏感です。
熊が歩道に出ることはまれですが、念のため、鐘を鳴らして、人間がいることを伝えましょう。
平成29年度
日本遺産魅力発信推進事業」
【子産みの栃】
12:56 子産みの栃
案内板
「 子産みの栃(トチ)
“Baby-bearing” Horse Chestnut
昔、この木の空洞に捨て子があり、子宝に恵まれな い村人が育てて幸福になった事から、この木の皮を 煎じて飲めば、子宝に恵まれると言い伝えられている。
平成29年度
日本遺産魅力発信推進事業」
これが子産みの栃でしょうか?11年前に来たときは、もっと「いかにも」という幹の太い、穴が空いた木があった気がしたのですが、その木は倒れてしまったのか、以前もこの木だったのを、私の記憶が勝手に木を巨大化していたのか。
鳥居峠トチノキ群の標柱
どの木がトチノキなのか、よくわからないので写真は撮りませんでした。この辺り、お六櫛の原材料のミネバリも植えてあるそうで、どの木がそうなのかわかりませんでした。
12:59 2つ目の熊除けの鐘
13:00 分岐(JR藪原方面へ向かいます。)
道標にある丸山公園に行けば、芭蕉句碑などがあったのですが、行きませんでした。
丸山公園への道標
11年前のブログを見てみると、当時歩いた道と少し違うので、これはガイド本の違いからでしょうか。
11年前のブログより
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2009.9.8.
再び熊除けの鐘があり、鳴らして下ると、御嶽神社鳥居の前に出ます。
木曽義元が松本の小笠原氏との合戦の際、峠の頂上から御嶽山を遙拜し、戦勝を祈願したところ、見事勝利を納めたので、鳥居を寄進したということで、鳥居峠の地名由来となっています。
鳥居を下って行くと、丸山公園。御岳手洗水鉢があり、湧水は飲めます。(2009年当時)
湧水の上に、義仲硯石水井戸があります。
木曽義仲が平家追討の旗揚げで、戦勝祈願の願書をしたためた時に、墨をするのに使った石と水だそうです。
さらに下ると、森林測候所跡地に休憩所とトイレがあります。
つづら折りを下ると、緩やかな下りの石畳になります。
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11年前に見た湧き水も、義仲硯石水井戸も今回は見ませんでした。
【御嶽神社】
御嶽神社
案内板
「 御嶽神社
Ontakejinja shrine
北から木曽路へ入り、初めて御嶽山を望むことのできる場所として御嶽神社(御嶽遙拝所)がある。神社の境内には御嶽を信仰する講社の人々が建立した石碑、石仏、石塔がある。
平成29年度
日本遺産魅力発信推進事業」
浮世絵中山道69次の作者の一人、渓斎英泉の作。浮世絵は御嶽山が見える鳥居峠で休憩する旅人がモデル。松の横には木曽義仲の硯水(すずりみず)の松尾芭蕉句碑があり、このあたりを版画にしたもの。 」
下り道
13:13 供養塔
かなりガンガン下りました。
13:15 未舗装車道を横断
13:15 熊除けの鐘
13:16 鳥居峠の案内板
案内板
「 鳥居峠 Toriitoge Pass
鳥居峠は、木祖村と旧楢川村(塩尻市)の境にある海抜一一九七メートルの峻嶺で、木曽川と信濃川上流の奈良井川の分水嶺をなしている。
峠路の開通は歴史が古く、和銅年間に官道『吉蘇路』として開かれた。このころ峠は『懸坂』といい、中世においては『ならい坂』あるいは『藪原峠』と呼ばれた。明応年間に木曽領主であった木曽義元が松本の小笠原氏と戦った時、この峠から西方はるかに御嶽権現を遙拝し、戦勝を祈願したところ、霊夢によって勝利を得たことからここに鳥居を建立、それ以降は『鳥居峠』と呼ばれるようになったと言われている。
峠からの眺望は非常によく、西に霊峰御嶽山、南に駒ヶ岳雄峰が眺められる。中山道の道筋に当たる峠路は新緑紅葉ともに美しく、トレッキングコースとして最適で、昭和四十六年長野県より『信濃路自然歩道』、平成七年環境省と県より『中部北陸資源歩道』として指定されている。また、平成二十八年には『木祖村史跡 鳥居峠』『鳥居峠のトチノキ群』が日本遺産の構成文化財に認定された。
平成三十年三月 木祖村
平成29年度
日本遺産魅力発信推進事業」
案内板
「 おねがい
木祖村のヒメギフチョウは、村の天然記念物として保護しています。ヒメギフチョウ及びウスバサイシン、吸蜜植物のカタクリ等 採らないでください。
(天然記念物は文化財であり、採取すると刑罰法令に触れる場合があります。)
平成29年度
日本遺産魅力発信推進事業」
石畳の道
13:20 杖置き場
杖置き場の後ろの案内板
石畳の道
13:24 車道を横断して、消防署近くのトイレをお借りしました。
オレンジの服の人(消防署員さん)が走っていました。
13:30 天降社
木祖村blogより
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薮原宿の北端にある。境内には石碑と祠があり、祠は拝殿神明造りである。境内に石碑があり「天降太神・津島太神・蚕玉太神」と刻まれている。大正4年の建立。
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木曽観光サイトより
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【 天降社のオオモミジ(木祖村天然記念物)】
この木は村内藪原地区 原町地域の青年の家のすぐ隣にある天降社境内の一画にあります。この神社の森は古来「大神宮の森」と称し、楓(かえでの老木が群生し、街道筋に当たるため有名であったといわれています。現在は森という観には乏しいですが・・県内には楓(かえで)の巨木はあまり多く見られないといわれていますが、この楓は村内唯一の巨木であります。(樹高約14m・目通り幹周囲2.45m・枝張り約10m)道路沿いにただ一本、樹幹に注連縄(しめなわ)が張られていて、その姿はいっそう重々しく、また紅葉の時期は見事です。村では昭和52年7月1日に木祖村天然記念物として指定されました。
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13:31 原町清水
案内板
「 原町清水
この水は峠を越える旅人が喉をうるおしたもので今も飲み水として使用されています。 」
2度目の中山道15日目の4(藪原宿)に続く
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2020/07/22/173805
二度目の中山道六十九次歩き目次の目次
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2021/03/21/084003